映画 新聞記者を観た
桃李さんもシムさんもすごくよかった。
映画の本筋とは関係ないのだが、こういう物語を見るたびに疑問に思うことがある。
なぜ権力者はさらに権力を得ようとするのだろう?
国家権力者ともなれば、多分死ぬほど忙しくて、年収数千万円くらい稼いでいて、日々の暮らしにも老後にも何の不安もないはずだ。福利厚生は手厚そうだし。しらんけど。
もし私が同程度の金・権力を手にしたら、さらに同じものを欲するよりもゆとりのある時間や安らぎを渇望すると思う。思うのだが、その地位に立った者にしかわからない、欲望の突き上げがあるのだろうか。
まあ確かに私も、ぼちぼちのお給料をもらっている現状でも、もっとお金あったら嬉しいな~と考えたりはする。それの延長戦がひたすら続いているのだろうか。
それとも、やっぱり彼らを動かすのはあくまで大義、志なんだろうか。
例えば安倍総理が改憲にこだわることについて、戦争が起こるからダメだ!と野党は言うが、戦争で安倍さんやその周りが得をすることって何なのだろう。加計学園問題で国家予算を私物化したとして、その動機は何なのだろう。断罪する側は、何だと考えているのだろう。
動機①関係業界から賄賂をもらえるから
→すでに大金を持っている人が、国中に断罪されるリスク抱えてまでさらに欲するんだろうか?
動機②むしろ、権力者自身が映画内さながらに脅されているから
動機③権力者たちはこれを善だと信じているから
…この中で最も現実的に見えるのはやっぱり③だ。
なんだかんだ、志を持ってやってる人がほとんどなんじゃなかろうか。善だとするロジック、ターゲットが人によって違うだけではなかろうか。(すごい当たり前のこと言ってますが…)
そう考えると、「彼は傲慢だ」「悪だ」のような政治家の「悪意」を指摘するのはなんかイケてないよなあ、と感じる。
確かにこのご時世、OK/NGの境界線は複雑だが、その境界を侵してしまうのは別にわざわざ悪行を働いてやろうと思っているのではなく、知識不足、努力不足とかそういうところが原因だろう。傲慢な性格だったとしても、知識を身に着けて抑制すれば政策を考えるうえでは一応問題なかろう。政治家を批判するのであれば「無知」「論理の破綻」「能力が足りない」とかそういう方向でないと、あまり意味がないと思うのである。
ただ、それを見つける側にハイスキルが必要になるんだよな、、自分も政治のことわからんちんなのでもう少しちゃんと学びたいと思う参院選前日。