わりとこうアムログ

宇多田ファンだけど結局安室ちゃんについて考えたり調べたりしたことを記録する羽目になった    「宇多田ファンによるアムログ」と同じ

シンエヴァ見たよ【ネタバレあり】

感想を順不同で殴り書き。

【!!!以下、重大なネタバレあり!!!】

 

 

 

 

 

 

まずトウジの村、私の地元だったのでテンション上がった。新所原。正確には私の実家からはちょっと遠いけどまあ遠州くくりで地元ってことにしておく。てことはシンジくんがふざぎこんでた湖は浜名湖かな? 宍道湖だったら面白かったよね…笑

 

 

旧劇と貞本エヴァ、新劇、全て同じ方向を向いた作品なんだよね。傷ついたとしても他者と触れ合える世界を望むっていう。それをそれぞれ異なる演出で楽しませてくれていてすごいと思った。

 

旧劇、「こんなアニメばっかり観てないで現実や他者と向き合え」という冷や水をオタクにぶっかける演出が盛りだくさんで気まずいことこの上なしだった。

また、旧劇はセカイ系の代表格としてよく語られてきた。シンジ君の心と世界の構造が (身の回りのコミュニティ、街、国などのスケールをすっとばして) 直結するストーリーだったから。

私がシンエヴァを見て印象的だったのは、クライマックス、初号機でなんやかんやする場面(うろ覚え)で、シンジの脳裏に友人やトウジの村の風景がフラッシュバックしたことだった。

旧劇ではとにかく他者(アスカがその象徴になってた記憶)が怖い、だったけれど、シンエヴァのシンジ君は他人の優しさやコミュニティで生きる人々に触れて、他者を怖がる描写はかなり薄くなる。

 

ゲンドウと取っ組み合っているとき、第三村やケンスケの家を壊されたことにショックを受けていたしね。(実際には壊れていないわけだけど)

乱暴に言ってしまうと、シンジ君が社会・コミュニティみたいなものを認識してそのために頑張ろうと思えるくらい、(旧劇と比べて)成長していたのだと思う。

セカイ系を乗り越える物語になってるんだ!とここで気付いてちょっと感動した。

 

 

そしてその成長を、庵野監督は私たち視聴者側にも期待していたんじゃないか。視聴者や日本社会(?)の成長を信じてこの作品を作ったんじゃないかと思う。

私たちオタクが旧劇でエヴァの呪縛に囚われてからもう20年程度経過した。序でエヴァにハマった当時高1だった私もミサトさんと同じ年になった。オタクたちも大人になり、働きだしたり結婚したり子供ができたり、また、未曾有の震災が起こったり、コロナ禍が起こり、、、

私たちも制作側も、独りよがりの虚構ではなく現実と向き合うことを余儀なくされて、いま生きてる世界のあり方みたいなものを考える機会も多かった。現実世界の時間経過が私たちに与えた影響は大きい。※村の描写を見るに、震災がエヴァに与えた影響は特に大きかったんだと思う。

 

 

私が上記のツイートをしたのはその辺のことをモヤモヤ考えていたからです。

 

 

庵野監督が「嫁さん(安野モヨコ)の作品は、虚構に逃げ込むだけじゃなくて現実に立ち向かう力をくれるところがすごい」という感じで話していたインタビュー記事を見たのだけど、庵野さんのクリエイターとしての姿勢に「現実と向き合う」っていうのがあるんだろうね。 そういえばシンゴジラもそうだわ。

 

旧劇のときはかなりキツい言い方したけど、お前らはあのときより成長しているし、もう俺があんな言い方しなくたってエヴァのない現実と向き合えるだろ?俺たちもエヴァ(という巨大商業コンテンツ)に依存せずに生き始めるぜ、一緒にがんばろうな………みたいに言われている気がした。まさに「さよなら全てのエヴァンゲリオン」、、、

 

 

最後のカプ描写については賛否両論ありそうだけど、LAS(シンジ×アスカ)派だった私も案外スッと受け入れることができている。

アスカとシンジが14歳のときはお互いちょっと恋心?を抱いていたことは認めつつ、過去として精算して次に進んでいるのはシンエヴァとしてはわりとしっくり来た。

 

なんだろう、恋愛感情を持つ相手と実際一緒にいてうまくいく相手って必ずしも重ならないし、シンジにちょっと淡い気持ちは残しつつ (多分あの海岸シーンの感じだと残ってたよね…) ケンスケの隣を選んだアスカは確かに「大人になった」という感じがする。それをどこか理解していそうなシンジも。

その辺も含めて旧作を完全に過去のものとしたよね、、、すごいなあ。

 

 

 

とりあえず今日はここまで。

ちなみにアダムスがどうのゼーレの思惑がどうのというあたりは全然理解せずエモだけで喋ってます。