わりとこうアムログ

宇多田ファンだけど結局安室ちゃんについて考えたり調べたりしたことを記録する羽目になった    「宇多田ファンによるアムログ」と同じ

雰囲気映画「キャロル」を見て思ったこと

キャロルという映画を観た。
 
キャロルの流れるような上品な仕草、二人の目線、ラストシーンのキャロルの何とも言えない表情...小説であればきっと、地の文で明示的に語られるものなんだろう。そしてこのキャロルのように(よい意味での)雰囲気映画というものは、「地の文」率が高いのだと思う。
映像に対してたまに「文学的」という言葉が使われるのも、きっとそういうことだろう。
 
私はよく、映画を観た後にネットで感想を漁る。答え合わせをするためだ。台詞のないあのシーンで◯◯が映り込んだのは××という意味だと思ったけど、合ってる?というような。独力でそこまで読み取れる自信がないから、インターネットの中の映画通と思われる人々に頼る。××という意味だと言っている人がいれば安心するし、そして自分が面白いと思った映画をネット映画通たちも高評価していたら、そうだよね~😊とほっとする。
 
結構他人の意見に流されてしまうタイプである。私が面白いと思ったから面白いんだ!と胸を張って言えないのは、我ながら情けないと思う。しかしそうやって都度都度答え合わせ、インプットをしてきたからこそ、今回のキャロルみたいな映画で地の文を多少読み取れるようになって、映画の良さに気付けたのかもしれない。(とはいえまだ全然読み取れてないけど)
 
映像に込められた地の文を読み取るためには、やはり文章を読んだ経験が必要なんだろうな。私は小説の情景描写、仕草の描写など読み飛ばしてしまいがちだ。でもそんな文章こそ丁寧に読み込まないと、映像を読み取る力もなかなか身に付かないのかもしれない。
 
というか、キャロルには原作小説があるらしいじゃないですか。となれば、小説の文章と、映画の表現を逐一照らし合わせながら見てみたらいろいろな発見があるのかもしれない。

安室奈美恵引退の日ラジオ特番 「未来へ」 メモ5【T.kura&michicoその2 arigatou制作エピソード】

こちら
の続きです。 
 
ーーーーーここから
 
奥:さあ、T.kuramichicoさんにお話をお聞きしましたけども、このお二人の楽曲で最も多くリクエストいただいたのが2011年11月発売のarigatou。(お便り読み上げ)
この楽曲について、お二人にもお話を伺っています。
 
♪arigatou
 
T:これは震災のあとの楽曲で、奈美恵さんの方からスタッフの方にメールが来て。彼女も悼んでいて(痛み入って?)、何かできないかってことだったんですけど。その中で楽曲を作りたいっていうのがあったので、僕・michicoも何か出来ないかって思って制作スタートしました。冒頭のフレーズを考えるときに、厳かに感動できるイメージを表現したかったので、それをずっと練って、michicoに聞かせたときに「ありがとう」っていう言葉が乗りました。
 
M:厳かに感動できるっていうフレーズを彼が考えてから、まず「ありがとう」という言葉を私が乗っけたんですね。で、そこから歌詞を広げていってメロディをつけていったんですけれども。当時、日本国民みんなが心を痛めて心配して、傷ついた人がたくさんいた中で、その人々のために歌うという強さ、その想いを、この曲に関しては、私は安室奈美恵さんの代わりになって書こうと思いました。それまでは、自分が表現したいように書いていたんですけど、この曲については、本当に安室奈美恵さんに成り代わって書こうと思っていました。
 
T:震災のあと、立ち上がっていくということが大事だと思っていて、たぶん奈美恵ちゃんの中にもそういうところがあったので、上手くリンクできたのかなって。

 

早:今聞くと、私たちの気持ちを代弁してくれる曲だなって思いますね。そこにいてくれて、強くいてくれてありがとうって。あ、ちょっと泣きそう...(笑)
 
奥:いろんな想いで受け止められる曲ですよね。
 
ーーーーーここまで
 
 最後の早川さんのコメントに(涙)

2018年フィルムログ

去年観た映画まとめ。

なお私は映画館で映画を見るとたいてい面白いと感じてしまうガバガバセンス野郎なので、点数付けるとか大層なことはできません。

 

リズと青い鳥

推しアニメ「響けユーフォニアム」のスピンオフ。

めちゃくちゃ薄いガラスで出来た彫刻のような映画だった。初めて見たときはみぞれ→希美への想いが重すぎてなんだか見てられなくなってしまったんだけど、演出や台詞の巧妙さを味わうために複数回視聴するべきだった気がする。希美→みぞれへもまた別種の重さがあったり。希望も感じさせるラストだったとはいえ、この二人、本当の意味で噛み合う日が来るのかなって少し考えてしまった。

 

the GREATEST SHOWMAN

バーナム、本当にショーの出演者たちに敬意を払ってんのか?ってやや脚本に疑問を感じる部分もあったが、音楽・映像の美しさのおかげで満足度は高かった。

Million  dreamsのシーンに感動した。おそらく世界トップクラスであろう音楽、トップクラスの美術、トップクラスの照明、キャスト、映像技術、衣装、その他諸々がスケジュールを合わせて1ヶ所に集結し、お互いの技をぴったり整合させてやっとあれだけのクオリティの作品が完成したのだ、、、という事実に興奮してしまうんだよね。何だろう。一瞬の映像を作るために投入されたエネルギーの大きさに圧倒され、そしてそれが成立する確率の低さを勝手に想像してしまい、それにも圧倒される。凄い才能が集結することは必然のようにも奇跡のようにも感じられた。

ちなみにこういう感動の仕方は他の映画やコンサートでもたまにしている。

 

ブラックパンサー

徳の高そうな先祖様たちのいうことに背いてでも新しい方針で国を守るというシーンが印象的だった。音楽がかっこいい。

 

SUNNY

90年代のJKがテーマということだし、当時のことは何も覚えてない私でも安室オタクとしては観ねばなるまい...という使命感で鑑賞した。が、正直ラストシーンすんごい号泣した。

私もアラサーに差し掛かり、高校時代の友人と会い続けることは物理的に難しいし、精神的にも各々の人生観の違いが大きくなって反りが合わないと感じるときも出てきた。私の人格にいちばん影響を与えたのはきっと思春期の友人関係なのに。

SUNNYの主役はアラフォーだからなおさらだろう。友達がもうすぐ死ぬという状況になってやっと、そのハードルを乗り越えることとなる。芹香の死と、大人パワー(金など)によって友情を復活させた暁のダンスシーンよ。

初っぱなからテレビ越しの安室ちゃんが出てきて、奈美の行動のトリガーに少しなっているのもポイントだった。

安室奈美恵引退発表のとき「元」アムラーの女性が「うちらの青春です~」とか言ってるのを見て若干イラッとしたりしたが笑、確かにあの年代の女性って安室ちゃんにたくさん背中を押してもらってきたのかもしれない(その後あゆに乗り換えたとしても)。羨ましいな。

※芹香(JK)の役の子の顔がはちゃめちゃに好みなので女優さんの名前メモ: 山本舞香

 

累(かさね)

シーアのaliveのPVを見てから、また三浦大知が土屋太鳳激賞してるのを聞いてから、私が土屋太鳳に期待していたものがこれです。序盤はわりと抑え目だったが最後のサロメよ、、、これが正しい土屋様の使い方。

はぶたさんの狂気も良かったね。

ちなみに原作は10巻まで読んだ。め~ちゃくちゃ面白い。

 

魔法少女リリカルなのは Detonation

まどマギが流行ったときに魔法少女繋がりで「なのは」シリーズを知ったので、何気に8年の付き合い。近年スピンオフ多発で追いきれなくなっていたけど、本筋の劇場版ということでrefに引き続き鑑賞。

完璧超人・優等生過ぎて私には感情移入できないキャラクターだった高町なのはさん(11)。彼女はなぜそんなに他人を救おうとするのか?という一端がやっっっっと垣間見えて、しかもその理由に対して若干「わかる😭」となってしまって(おこがましすぎる)、涙を禁じ得なかった。いやいや家庭環境があるとはいえ11歳でそこまで考えるのは尋常じゃなくない?とも思うが、精神的幼さゆえの自己犠牲精神ってあるのかも。君には君の帰りを待ってる人がいるんだってこと、やっと気付けてよかったね...涙

キャラ多すぎとか右腕の件とか売り方とか突っ込みたいところもあれど、上記のシーン(+ イリス・キリエ戦がめっちゃ良かった)でわりと許せる。あとフェイトちゃんの顔がよすぎて永遠に見てられる。

正直最終回っぽい締め方ではあったんだけど、中学生になって進路や移住に悩むなのフェイはやを絶っっ対見たいので、シリーズ終了になりませんように...。

 

安室奈美恵引退の日ラジオ特番「未来へ」メモ4【T.kura&michico その1】

全体的に神番組なこのラジオですが、その中でも私がいちばん楽しみにしていたミチクラ夫妻パートです。
 
 
ーーーーーーここから
 
奥村アナ:ここからはスイシー以降のお話に移りたいと思います。早川さんはまさにこの時期のご担当だったそうで。
 
早川さん:悩みながらも楽しんでいた感じがしましたし、ちょうど30歳になるかならないかの時期だったので女性としても深みが増していましたし。特にNao'ymtさん・T.kuraさん&michicoさんの2組と組んだときは、新しい武器を見つけた!というような感じでいつも楽しそうで、キラキラしていました。
楽曲を選んでいくと結果的にこの2組になるということが多かったらしいですね。Queen  of hip-popPLAY がその2組になったのも結果論だっておっしゃってたのが衝撃でした。
 
奥:この2組との出会いがなければ今の安室さんは...
 
早:うん、なかったと思います。...って、こんなこと言っちゃっていいのかな(笑)
 
奥:それくらい安室さんにとって大切な方々なんですけれども、今回特別にT.kura&michicoさんがインタビューに答えてくださいました。なんと安室さんについて語るのはこの番組が初めて!ということで...
 
(・私):えーーすごい!!
 
早:私もぜひ一度お話してみたくて、アメリカにいらっしゃるmichicoさんたちに電話つないでいただきました。
 
M:奈美恵ちゃんはいつも自分でトラックを選ぶんですよね。メロディも歌詞もついていない状態のものを。奈美恵ちゃん自身が選ぶので、最初からプロデューサー目線で選んでいたっていうのは曲選びから伝わっていました。そのあと私が曲に合わせて詞を書いていくと、自然と彼女のイメージに沿ったものができていたのではないかなあと今思ってます。
 
T:安室奈美恵がこれやっていいの?っていうチャレンジングなトラックを選んできちゃうんですよ。例えば4~5曲からトラック選ぶとしたら、いちばん攻めてるやつを
 
M:うん、もう全く守りに入っていなかったですね。

 

♪ヲンメ
奥:仮歌も何もない状態から曲を選ぶっていう。
 
早:そう、いつも感心するんですけど、たぶん想像力が尋常じゃないと思うんですけど、レコード会社の耳の良い人たちが最新の音楽を100曲200曲選んでくるんですね。で、彼女はそれのイントロ3秒くらい聞いて決めるくらいの勘のいい方なんですね。だから安室奈美恵楽曲のイントロはインパクトがあるとか、印象に残るっていうマジックが生まれるらしいです。
 
♪love story インストver
♪Hello
 
奥:攻める女性を表現し続ける、歌詞の秘密についてお聞きします。
 
早:安室奈美恵の中にある攻めてる感じとか強さは、曲の中で表現したいっていう気持ちはあったんですかね?
 
M:はい、ありました。ほんとに美しくかわいい方ですけど、実際に会って、クレバーで気骨のある女性ということを知って、やはり歌詞の世界観もできるだけ広範囲から、いろんな世界のボキャブラリーから表現したいなって。
 
T:それまであまり歌詞に使わないような言葉も使って...
 
M:そうですね、当時いろんな言葉を遣って書いて、それを楽しんで歌っていただいた感じがありますね、常に。

 

早:当時michicoさんは「安室奈美恵に牙を剥かせたい」っておっしゃってたらしいんですけど、同じことを安室さん本人も思っていたらしいんですね。でもどう表現したらいいか燻ってたらしいんです。それをmichicoさんが砕いてくださったと当時おっしゃっていました。
 
奥:そしてお二人が何より驚いたのが、安室さんの仕事に対する姿勢だったそうです。
 
T:潔い、あるいは男よりも男勝りな、というか... ある意味のプロなんですけど、人選に関しても「この人にもう決めたんだからこれで行く」っていう覚悟がすごいんですよ。
最初それがわからなかったんですけど...、録った際のボーカルやコーラスって、CDになった時の音とは違って粗かったり問題があるときもあるので、他のアーティストの場合は不安に思って「これ最終的にきれいになりますよね?」とか確認することも多いんですよね。で、「大丈夫です、編集していい感じになるはずです」とか安心させることを言う場合が多いんですけど、彼女は一切そういうことがなくて。
1回だけ彼女に言ってみたんですよ。「これ、最終的にこういう風になりますよ、ギターを入れようと思うんです」ということを言ったら、「はい大丈夫です、全てお任せしますから」ってあっさり言われてええっ?!みたいな(笑)。そう言われてこちらも身が引き締まるというか。
 
M:ほんとに潔く任せるっていう、プロデューサー視点で人選もされているわけですから、もう何も言わないでおこうという姿勢が感じられましたね。だから全力で出してきてください、というメッセージだと私は受け止めて、全力で挑んで曲を書きました。
 
T:やはり一流アーティストだなと思ったのは、その後録音された楽曲をライブでやるのを見て、幅を広げて演じ切るのを見て、ああそうか、って。こういうことをやるために自分達に依頼してきて、任せて、そうやって出来たものを私これだけ広げたから、っていうのを感じたんですよ。だから、そういうことだったのか、ってライブを見てわかりました。ある意味の超人なのかなと思いますね、安室ちゃんは。

 

早:ご自分でも作詞作曲したいという憧れはあったみたいなんですけど、それがパーフェクトでないのであればプロに任せる、私は歌い手に徹する、そういうスタイルを貫かれたんですね。任せるんだったら全部任せる、その人にだけお願いする、細かい注文するくらいなら別の人。安室さんのそういうところが本当にかっこよかったし、大好きな、いちばん好きなとこです。
 
奥:早川さんもびっくりされたんですね。
 
早:本当に、よほどのことがない限り注文してなかったと思います。
奥:雑誌の記事とかも?
早:そうですね。そうやって任せてもらえるので、こちらとしても、ああ選んでもらっているんだっていう、おこがましいんですけど最高の喜びでした。
 
奥:さあ、T.kuramichicoさんにお話をお聞きしましたけども、このお二人の楽曲で最も多くリクエストいただいたのが2011年11月発売のarigatou。(お便り読み上げ)
 
この楽曲について、お二人にもお話を伺っています。
 
ーーーーーーーここまで
 
  最高のインタビューでしたがarigatou話は後半で。
 
他のパートはこちら。

安室奈美恵引退の日ラジオ特番「未来へ」 メモ3【セルフプロデュース開始/SUITE CHIC/ZEEBRA】

 
この記事もこちら↓
 (MC:奥村奈津美アナ、ライター早川加奈子さん)
 
の続きになりますが、ボンバー中澤のパート以降(TK時代中盤~終盤)を少しすっ飛ばして、セルフプロデュース時代のパートから文字にしました。(大量すぎて疲れた) 悪しからず。
TK時代のパートもいずれテキストにしたいとは思っています。
 
ーーーーーここから
 
♪Say the word
奥:楽曲、衣装、ジャケットも全て自分で手掛けるようになります。その第1作目がsay the wordです。息子さんのために安室さん自身で作詞しています。(お便り読み上げ)
 
安室:セルフプロデュースを始めて本当に数年間手探りで、歌手の安室奈美恵っていうのがわからなくなる時期がやっぱりあったので...。そのときどうしたらいいか誰も教えてくださらなかったし、誰かに相談することも出来なかったので、もう落ち込むばかりでしたね。あ~今度は何がダメだったんだろう...っていう。考え付くことはやってみたりしていたんですけど、しっくり来るものがわからなかったので...
 
奥:当時そんなに思い悩んでいたとは気づかなかったんですけど、それを脱するきっかけになったのがSUITE CHICだったんですよね。
 
早:そうですね。当時海外でポピュラーだったR&BHIPHOPのスタイルにチャレンジしたい、という気持ちは安室さんの中にあったみたいなんですけどやり方がわからないっていう状況で。そのときHeroの作曲も行った今井了介さんたちが、安室さんを日本のジャネットジャクソンというイメージにしてやってみないかという話をオファーしたらしいんですね。で、安室さんがこれはチャンスだ!と思って始まったのがSUITE CHICだったんですね。
 
 
安室:(SUITE CHICのとき)本当に楽しかったんですね。なんでこれを忘れてたんだろうって。あまりにもああしなきゃいけないこうやらなきゃいけない、ってなっていて、楽しむということを忘れていたときだったので。そうか!って。自分が好きなことは好きだって胸張って楽しまないとそりゃいいものは作れないなってなって。とにかく今自分が好きなものを胸張って堂々とやればいいんだ っていうときに、いろんな迷いやプレッシャーが消えて次のステージに行けたっていう感じですね。
 
(ZEEBRAインタビュー)
ZEEBRAR&BHIPHOPって80年代後半くらいから世界的には流行ってはいたんだけども、たぶん2000年代の頭から本当に流行っていったっていうか。
 
奥:じゃあそのタイミングで安室さんとコラボっていうのは...
 
Z:もうドンピシャ。ベストタイミングだったと思います。ブラックミュージックを基本としたダンサブルなポップス、そういうのがどんどん流行っていった時期だと思います。我々も(安室サイドから)お誘いを受けたときに、これ売れなかったらシャレになんないよね、失敗したら俺らのせいだよね、って感じだったんで、これは何が何でもいいものを作って盛り上げたいなと。
 
♪GOOD LIFE /SUITE CHIC feat. FIRST KLAS
  
Z:安室ちゃんって、彼女の長所でもあると思うんですけど、すごく伸びやかな、声張ってバーッといく感じ上手いじゃないですか。でもその頃のR&Bってあまり張らなくなっていて。コーラスをうまく積んでいって、とかそういうパッと聞きの聞こえのよさ、ふわっとした感じの時代だったんですよ。
で、当時もそっちの方向性でいこうと思って。「全然声張らなくていいから!」「え、これでいいんですか?!」「大丈夫大丈夫!」みたいな感じでやってって。完全にディレクションは我々でさせてもらっていました。今のR&Bやろうよ!みたいな(笑)。彼女も張らないことに関して少し不安だったみたいだけど、コーラス重ねたやつを聞いたらすごいすごい!って。「こういうことなんですね!」みたいな。
 
奥:記録的な売り上げにもなりましたね。
 
Z:そうですね。完全にあそこからぐいっと安室ちゃん自体が波に乗ってった感あるので。スイシー終わって安室奈美恵メインに戻っても、全っ然遜色ない、全っ然同じような...つまり最初試してみたときは連名でやったけど、もう連名の必要ないってところまで行ったと。それ見て俺らもよかったな~!って(笑)。あそこから人脈も広がったと思うしいろんなプロデューサーと組んでいろんな表情を出せるようになったと思います。

 

奥:安室さんが戸惑いながらも楽しんでチャレンジした様子がZEEBRAさんのインタビューから伝わりましたね。
 
ーーーーーーーーーここまで
 
ジブさんのインタビューかなり聞き応えありましたね。私もコーラス重ねるタイプの楽曲(特にミチクラ楽曲に顕著)が大好きなんですが、当時スイシーの皆さんと積んだ経験がそういった楽曲に繋がってるんだと思うととってもありがたいです

安室奈美恵引退の日ラジオ特番「未来へ」 メモ2【アムラーファッション/ボンバー中澤】

の続き。
 
ーーーーーーーーラジオここから
 
アムラーファッションについて
奥:90年代の安室さん旋風は本当にすごくて、アムラーという言葉が流行語大賞にノミネートされたりもしました。
早:奥村さん、アムラーだったんですよね?
奥:(笑) アムラーを目指して、校則の範囲内で頑張ってました(笑)なりきれなかった...w
この頃のファッション、メイクがどのように生まれたのか、中野さんにお話を伺いました。
 
中野:あの頃の、例えば細眉とかは、誰かに言われて始めたわけではなくて、本当に彼女が自分でああいう形に整えていたものでした。髪のメッシュも自分でやっていたわけで。厚底も、奈美恵ちゃんが気に入って履いていた厚底のブーツがあるんですけど、普通にスタジオ入りとかに履いていたものが渋谷にコピーが売られていて...。本当に彼女が発信源。誰かが作ったスターじゃない、という感じはすごくしますね。
奥:アムラーっていうのは素でできたファッションスタイル?
中野:ですね。もちろんそのあとのバーバリーのスカートとかはスタイリストさんが選んだものだったりするんですけど、でもそれも彼女が最終的にチョイスしたものだから、彼女が発信したものだと思います。
 
早:安室さんは単純に自分が好きなものを着ていただけだったから、アムラーが街に溢れていたことを不思議な感じがしていた、と20周年のときにおっしゃっていましたね。
奥:自分と同じ格好の人が街に溢れるなんて今じゃほぼあり得ないことですもんね~。このときの安室さんについて、小室さんが1999年1月に総合テレビで放送した安室奈美恵 21歳の挑戦」にて答えてくれています。
 
小室:僕が助けてあげられているのは、音楽のメロディだったりとかある程度サウンドと彼女の接点を提示してあげたりとか、そういうところだけだと思います。安室奈美恵というものを作り上げる力は彼女が自分でプロデュースしているってことで間違いないと思いますね。

 

奥:これは安室さんの復帰後のインタビューなんですが、その当時からセルフPの芽があったということになりますよね。
 
早:そうですね。たぶん彼女の好きなR&Bの要素は当時の小室さんの中にはなかったと思いますね。ただ、小室さんはとても研究熱心な方なので、自分の音楽の中にR&Bの要素を取り入れて...奈美恵ちゃんを笑顔にしてあげたいっていう気持ちで後の名曲をたくさん生み出したんじゃないかなって推測してます。
 
■ボンバー中澤からのラブレター
奥:さて、ここでスポーツ界きっての安室ファン、ワールドカップに2度出場した中澤佑二さんからのラブレターをご紹介します。
♪don't wanna cry
 
ボンバ:当時はdon't wanna cryが出ていて、僕はそのCDが出る1ヶ月くらい前にブラジルに行っちゃったんですけど、カセットテープに録音したものを送ってもらったりしていました。テープが擦りきれるまでずっと聞いていました。恥ずかしいですが、安室さんのポスターをベッドの横に貼って、苦しい自分が勝手に励まされていたみたいな(笑) いつか凄い選手になって安室さんに会うぞみたいな、恋心みたいな気持ちもプラスされて頑張っていましたね(笑)
彼女によって、本当のプロの姿勢を教えてもらっていたんですよね。ファンのために、見に来てくれている人のために、安室さんのようにただでさえすごい人が努力して完璧なステージを作り上げているんだなっていう姿を見ていて、僕もプロサッカー選手としてもっともっとサポーターのために努力しないといけないなっていうのを改めて考えさせられましたね。やると決めたことを最後までやり通すって本当に大変なことだし、その姿を見て聞いてきたからこそ僕はプロ選手になれたし、プロになってからも40歳まで走り続けられたのも安室さんのおかげという部分はあると思います。曲やライブを通して、中澤佑二という人間がいろんな経験をしてこれましたので本当に感謝の気持ちはありますね。

 

奥:ドンワナについてはたくさんのリクエストをいただいています。(お便り読み上げ 英語のメッセージも)次は香里奈さんからのラブレターです。
 
 ーーーーーラジオここまで(かりなごめん)
 
中野さん、1スタッフの域を越えて奈美恵ちゃんのこと好きすぎじゃない???(でもわかる)
 
 
 

安室奈美恵引退の日ラジオ特番「未来へ」 メモ1【デビュー/YUSUKE/中野明海/TK序盤】

2018年9月16日にNHKラジオで放送された安室奈美恵 引退の日特番「未来へ」  文字起こし。細かいところは端折ってますのでご了承ください。
 
メインパーソナリティは奥村奈津美アナ早川加奈子さん
 
ーーーーーーーーーラジオここから
 
奥:この引退の日に感謝の気持ちを込めて自分にできることはないかを考えた結果、今日この放送にたどり着きました。
奥:早川さんは2003年から安室さんのインタビュー担当。100回くらいは担当。2008年~2016年はオフィシャルライターを担当
リクエストは現時点で6600通、150曲にお便りをいただいています。安室さんの曲は全部で250曲程度なので幅広いリクエストをいただいていますね。
沖縄の様子も中継していきます。沖縄支局の大橋卓アナウンサーです。
 
■YUSUKEのコメントfrom沖縄
大:なんと、ダンサーのYUSUKEさんに来ていただいています。昨日の前夜祭の様子はいかがでしたか?
 
Y:奈美恵さんが出演者の皆さんを呼び込んだときに、僕らもその様子を前から見ることは出来ないんですが、なんかこう...沖縄のアーティストさんたちが安室さんのためだけに集まっていて、後ろから見ていてあったかい感じに見えて。凄いことなんですけど、不思議な感じにも映ったというか。深いものがありましたね。
最後にこの地を選んだということで、沖縄で始まって沖縄で終わるのがいいのかな。っていう。うちらもそれ見ててなんか......よかったなっていう。そんな感じですかね。
 
大:yusukeさん自身も安室さんのダンサーをやられて14年間で、それが終わったということで、どんなお気持ちですか?
 
Y:寂しいという気持ちはやっぱりありますね。ま、でもそんな気持ちになっていてばかりでもアレなので、本人に気持ちよく歌って、踊ってもらうっていうのが大事なので、ダンサーはみんなそうだと思うんですけど、本当に気持ちよく笑顔で送り出せたな、と思います。
奈美恵さんに対してはありがとうとしかいいようがない。本当に感謝しています。
 
奥:この番組では時代ごとに安室さんの活躍を追っていきます。
 
■デビュー当時の安室ちゃんの印象について・中野明海さん
♪ミスターusa
奥:安室さんの輝きはデビュー前から違っていたそうです。そんなお話を、デビュー前からヘアメイクを担当されている中野明海さんに伺いました。
 
中野:どこからどう見ても小顔で手足が長くて、目が離せないというか、どうしても見ちゃうんですよ。そんな天性というか才能というものがあるんだと思います。売れるとか以前に、なんか特別な人を沖縄で見てしまったという感じがしました。で、私がよく本人にも言ってるのが「私、たぶんファン第1号だと思うんだ」っていうことですね(笑)それは自負しています。
 
早:中野さんいつも、安室さんのことをかわいいね!かっこいいね!って言いながらメイクされているそうで、それを見ていて私たちもほんといい気分になるんですけど、あと私も取材するたび心の中でカワイイなって毎回思ってました。
奥:やっぱり実際に見るとテレビや雑誌で見るのとは違うってことなんですかね~
早:うん、大人の女性なんだけどやっぱりかわいいです。
 
■テレビ出演、ポップジャム
奥:テレビでその姿を見て忘れられなくなったという声もたくさん届いています。
(ポップジャムについてのお便り読み上げ)
安室さんがnhkに初登場したポップジャムは、デビュー翌年から始まった番組で、安室さんはバックダンサーや司会のアシスタントも務めました。そこで初めて歌った自分達の曲がダンシングジャンクです。安室さんご本人も番組でいちばんの思い出だとおっしゃっていました。
ということで、今回は特別に1993年5月17日放送のポップジャムより、ダンシングジャンクをお送りします。
 
♪ダンシング・ジャンク(ポップジャムver)
     
この曲は忍玉乱太郎の主題歌だったのですが、そこで知ったという方々からお便りが届いています。(お便り読み上げ)
 
■TKプロデュース時代
奥:このダンシングジャンクを発売した翌年、安室さんは紅白歌合戦に出場することとなります。そのときの楽曲が小室哲哉プロデュースのchase the chance。今回は、その紅白のときの音源をお送りします。
 
♪chase the chance(紅白ver)
(脚注:緑のロングジャケットで出ていたとき。「安室奈美恵ちゃんですよ!」と紹介している司会の声がガンダムアムロと同じイントネーション笑)
 
奥:TKプロデュースを振り返り、朝の情報番組のインタビューで安室さんが語ってくれた際の音声(脚注:おそらく2018年9月のあさイチorおはよう日本で放送されたもの)をお送りします。
 
安室:あのときは本当に目まぐるしくて、次はこれ出します、あれ出します、というレールが敷かれていました。そのレールの上を外れちゃいけない、まっすぐ走らなくちゃいけない、脱線しないように進むのに必死でした。いろんなことが目まぐるしく流れていって、濃厚な経験をさせてもらって、大変だったけどすごく充実していました。ほんと濃かったなあって...。あの時経験したことは絶対に今にも活かされていると思います。うん...凄い時代だったなあって。なんか、90年代の小室さん旋風は濃いーい時代だったなって思います。
 
奥:nhk最後のインタビューである朝のニュース番組にて、セルフプロデュースについても語ってくれました。その内容はnhkスペシャル「平成史スクープドキュメント」でも放送する予定です。当時の5年間、産休時代も入れれば6年間の小室さんPの時代はシングル16枚、アルバム4枚と驚異のスピードで曲を出していましたよね。
 
早:当時小室さんは他のプロジェクトも抱えていたし、重ねて安室さんもお忙しかったので、ほとんどお喋りをしたことがなかったらしいんですね。で、sweet 19 bluesだけ特別に二人で会話して生まれた曲ということです。
奥:私は当時中高生で、歌って踊ってっていう原点はそこだったのかもしれないです。
早:当時の海外R&Bの女性アーティストはダンスで表現するということもあったんですけれども、日本でこれだけの歌唱力とハイレベルなダンスを一人で表現できる女性アーティストは安室さんだけでしたし、今でももしかしたら...と思います。
 
♪try me(オリジナルカラオケ)
  
ーーーーーーーーーラジオここまで
 
 
このラジオ3時間分全てを文字に起こすのはやはりきつそうので、製作陣(ナオさんクラミチ夫妻小室さん)、野田さん、いずみさんなどのスタッフのみなさんのコメントのみ抜粋することになるかもしれません。
とりあえず今日はここまで。