わりとこうアムログ

宇多田ファンだけど結局安室ちゃんについて考えたり調べたりしたことを記録する羽目になった    「宇多田ファンによるアムログ」と同じ

安室奈美恵引退の日ラジオ特番「未来へ」 メモ2【アムラーファッション/ボンバー中澤】

の続き。
 
ーーーーーーーーラジオここから
 
アムラーファッションについて
奥:90年代の安室さん旋風は本当にすごくて、アムラーという言葉が流行語大賞にノミネートされたりもしました。
早:奥村さん、アムラーだったんですよね?
奥:(笑) アムラーを目指して、校則の範囲内で頑張ってました(笑)なりきれなかった...w
この頃のファッション、メイクがどのように生まれたのか、中野さんにお話を伺いました。
 
中野:あの頃の、例えば細眉とかは、誰かに言われて始めたわけではなくて、本当に彼女が自分でああいう形に整えていたものでした。髪のメッシュも自分でやっていたわけで。厚底も、奈美恵ちゃんが気に入って履いていた厚底のブーツがあるんですけど、普通にスタジオ入りとかに履いていたものが渋谷にコピーが売られていて...。本当に彼女が発信源。誰かが作ったスターじゃない、という感じはすごくしますね。
奥:アムラーっていうのは素でできたファッションスタイル?
中野:ですね。もちろんそのあとのバーバリーのスカートとかはスタイリストさんが選んだものだったりするんですけど、でもそれも彼女が最終的にチョイスしたものだから、彼女が発信したものだと思います。
 
早:安室さんは単純に自分が好きなものを着ていただけだったから、アムラーが街に溢れていたことを不思議な感じがしていた、と20周年のときにおっしゃっていましたね。
奥:自分と同じ格好の人が街に溢れるなんて今じゃほぼあり得ないことですもんね~。このときの安室さんについて、小室さんが1999年1月に総合テレビで放送した安室奈美恵 21歳の挑戦」にて答えてくれています。
 
小室:僕が助けてあげられているのは、音楽のメロディだったりとかある程度サウンドと彼女の接点を提示してあげたりとか、そういうところだけだと思います。安室奈美恵というものを作り上げる力は彼女が自分でプロデュースしているってことで間違いないと思いますね。

 

奥:これは安室さんの復帰後のインタビューなんですが、その当時からセルフPの芽があったということになりますよね。
 
早:そうですね。たぶん彼女の好きなR&Bの要素は当時の小室さんの中にはなかったと思いますね。ただ、小室さんはとても研究熱心な方なので、自分の音楽の中にR&Bの要素を取り入れて...奈美恵ちゃんを笑顔にしてあげたいっていう気持ちで後の名曲をたくさん生み出したんじゃないかなって推測してます。
 
■ボンバー中澤からのラブレター
奥:さて、ここでスポーツ界きっての安室ファン、ワールドカップに2度出場した中澤佑二さんからのラブレターをご紹介します。
♪don't wanna cry
 
ボンバ:当時はdon't wanna cryが出ていて、僕はそのCDが出る1ヶ月くらい前にブラジルに行っちゃったんですけど、カセットテープに録音したものを送ってもらったりしていました。テープが擦りきれるまでずっと聞いていました。恥ずかしいですが、安室さんのポスターをベッドの横に貼って、苦しい自分が勝手に励まされていたみたいな(笑) いつか凄い選手になって安室さんに会うぞみたいな、恋心みたいな気持ちもプラスされて頑張っていましたね(笑)
彼女によって、本当のプロの姿勢を教えてもらっていたんですよね。ファンのために、見に来てくれている人のために、安室さんのようにただでさえすごい人が努力して完璧なステージを作り上げているんだなっていう姿を見ていて、僕もプロサッカー選手としてもっともっとサポーターのために努力しないといけないなっていうのを改めて考えさせられましたね。やると決めたことを最後までやり通すって本当に大変なことだし、その姿を見て聞いてきたからこそ僕はプロ選手になれたし、プロになってからも40歳まで走り続けられたのも安室さんのおかげという部分はあると思います。曲やライブを通して、中澤佑二という人間がいろんな経験をしてこれましたので本当に感謝の気持ちはありますね。

 

奥:ドンワナについてはたくさんのリクエストをいただいています。(お便り読み上げ 英語のメッセージも)次は香里奈さんからのラブレターです。
 
 ーーーーーラジオここまで(かりなごめん)
 
中野さん、1スタッフの域を越えて奈美恵ちゃんのこと好きすぎじゃない???(でもわかる)