花束を君に・まごころを君に・アルジャーノンに花束を
宇多田ヒカルの、特に最近の楽曲に関しては上手く自分の言葉に落とし込むことができないので他人様の言葉への共感、という形でしか感想を表すことができないんですよね。
ツイッター検索してて特に印象深かったのがこちら。
やっぱり「何かを乗り越えた人」の歌ですよね。悲しみや孤独が根底にあるのは変わらない。悲しさも孤独も受け止めて、こんなに柔らかく表現できるようになったよ、と。地に足をしっかりつけて立つHikkiが見えて泣ける @utadahikaru #花束を君に #おかえりHIKKI
— jack_morisoh (@jack_m_s) 2016年4月4日
録画して見たとと姉ちゃん、宇多田ヒカルの肥沃で滋味のある歌声に一瞬ひるんだ。ひりつくような哀切はもうどこにもなくて、その惜し気なさが気持ちよい。きっと毎朝この声に浸って家事の手を止める。
— 瀧波ユカリ (@takinamiyukari) 2016年4月4日
もしかしたら宇多田ヒカルはもう過去の歌は歌わないかもしれないって思うくらい歌声を変えてきたし、そんなことした人今までいないし、期待しかない。
— 瀧波ユカリ (@takinamiyukari) 2016年4月4日
「花束を君に」というタイトルを聞いた時、私はエヴァンゲリオン旧劇場版の「まごころを、君に」を真っ先に思い出してしまったのですが、このエヴァ「まごころを君に」はとある実写映画の邦題(副題?)から取ったものなんですね。
その映画というのが「アルジャーノンに花束を」。
個人的に、宇多田ヒカルの楽曲・エヴァ・アルジャーノンって「諦め」が根底にあるような気がします。AとBは両立しないという諦めだったり、Aを得るためにはBとも向き合わないといけないという諦めだったり。孤独と他人、生と死、感情と知性、愛情と拒絶etc.
「花束を君に」は冒頭の(他人様の)ツイートにもあったように、それをまるっと受け入れて包み込んだ人の歌だなと感じます。
桜流し、真夏の通り雨、花束を君に 3曲に通じて、日本人で良かったと思います。