わりとこうアムログ

宇多田ファンだけど結局安室ちゃんについて考えたり調べたりしたことを記録する羽目になった    「宇多田ファンによるアムログ」と同じ

雰囲気映画「キャロル」を見て思ったこと

キャロルという映画を観た。
 
キャロルの流れるような上品な仕草、二人の目線、ラストシーンのキャロルの何とも言えない表情...小説であればきっと、地の文で明示的に語られるものなんだろう。そしてこのキャロルのように(よい意味での)雰囲気映画というものは、「地の文」率が高いのだと思う。
映像に対してたまに「文学的」という言葉が使われるのも、きっとそういうことだろう。
 
私はよく、映画を観た後にネットで感想を漁る。答え合わせをするためだ。台詞のないあのシーンで◯◯が映り込んだのは××という意味だと思ったけど、合ってる?というような。独力でそこまで読み取れる自信がないから、インターネットの中の映画通と思われる人々に頼る。××という意味だと言っている人がいれば安心するし、そして自分が面白いと思った映画をネット映画通たちも高評価していたら、そうだよね~😊とほっとする。
 
結構他人の意見に流されてしまうタイプである。私が面白いと思ったから面白いんだ!と胸を張って言えないのは、我ながら情けないと思う。しかしそうやって都度都度答え合わせ、インプットをしてきたからこそ、今回のキャロルみたいな映画で地の文を多少読み取れるようになって、映画の良さに気付けたのかもしれない。(とはいえまだ全然読み取れてないけど)
 
映像に込められた地の文を読み取るためには、やはり文章を読んだ経験が必要なんだろうな。私は小説の情景描写、仕草の描写など読み飛ばしてしまいがちだ。でもそんな文章こそ丁寧に読み込まないと、映像を読み取る力もなかなか身に付かないのかもしれない。
 
というか、キャロルには原作小説があるらしいじゃないですか。となれば、小説の文章と、映画の表現を逐一照らし合わせながら見てみたらいろいろな発見があるのかもしれない。