わりとこうアムログ

宇多田ファンだけど結局安室ちゃんについて考えたり調べたりしたことを記録する羽目になった    「宇多田ファンによるアムログ」と同じ

安室奈美恵引退の日ラジオ特番 「未来へ」 メモ11【沖縄への想い/円の話/安室奈美恵はメディア】

続きです。

奥:奥村奈津美アナ

早:早川加奈子さん/音楽ライター

N:Nao'ymt

 

----------------ラジオここから--------------

 奥:安室さんは今日、沖縄にいます。安室さんの今までを支えてくれた人たちと引退の日を過ごしています。

 

大橋アナ:沖縄はいたるところ、安室さんに染まっています。…(以下沖縄のレポート)

 

♪Just You and I

  

奥:安室さんは、引退前にNHKのインタビューに答えてくれました。

 

歌で笑顔で終わりたいなっていう場所が、わりと沖縄だったのかなっていう感じはします。デビューするときのよしっ!ていう、夢いっぱいの14歳の女の子たちが笑顔で上京した出発点だったので。笑顔で終わりたいなって思いはありますね。
沖縄に帰ってくるときはコンサートで帰ってくるんだっていう気持ちがあって。沖縄でコンサートをするのは、機材を運ぶ面でもたいへんなのでなかななかツアースケジュールに入れるのが難しかったんですね。でも沖縄に帰ると、すべてが優しいものに包まれてしまって甘えてしまうので、あまり帰らないようにしているし、沖縄にはきちんとコンサートで帰る、それ以外は他の場所できちんとやっていく、だからきっとすごくうれしかったのかな。
県民賞をいただいたときはうれしくてわって泣いちゃったんですが、(このあたりから涙声)賞をいただいて、頑張って本当によかったな、初めて褒められたなっていう。14歳がデビューした女の子が、40歳になるまで音楽に携わっていけるなんて、本っ当に思っていなかったので。奇跡だなっていうのをあの賞をいただいたときに実感したっていうか、たぶん初めて実感したときだったんだと思います。
 私自身はこの1年間っていうのは、みなさんにひとつずつ、ひとつでも多く思い出を作るっていうのと、引退に対してお互いの気持ちを消化していく…、消化してって、前向きに引退を迎えたいなっていうのもあって。最終的に9月16日を迎える時には、ファンの皆さんが1人でも多く引退を理解しててくれたらなって。
理想の歌って踊ってかっこいい歌手になりたいって思ってデビューして、実際にそういう存在になれたかっていうのは…、みなさんの判断ですね。でも、それに向かって一生懸命頑張って過ごしてはきたので、やり切ったっていう気持ちはありますね。ちゃんと、悔いなく。音楽でファンのみなさんと私が繋がったように、他のアーティストさんと繋がることもあるだろうし、そこでもっともっと音楽の素晴らしさを楽しんでほしい…音楽を楽しんでほしいですね。

 

♪Contrail

 (初めてラジオを泣きながら聴いています、といったおたよりを涙声で読み上げる奥村アナ(とそれにもらい泣く私))

 

奥:さて、今流れているContrailについてもラブレターが届いています。

脚本家の野木亜希子(参考>野木亜紀子 - Wikipedia)です。「空飛ぶ広報室」にContrailを提供してくださり、本当にありがとうございました。執筆中、執筆後にも擦り切れるほど聞きました。ドラマにとってなくてはならない歌でした。

 

 

N:嬉しいですね、すごく。

生放送ってたいへんですね…。安室さんに対して言いたいことはたくさんあるんですけど…、なんか、ちょっとしか言えない。

安室さんの引退に向けて、自分が安室さんのことを考えたときにいちばん思うのは、安室さんが見せてくれた世界っていうのは、見たことないくらい僕にとってキラキラしていた世界だったんですよ。

安室さんのおかげで自分の音楽の可能性が広がって、安室さんのおかげで多くの人に自分の楽曲を聞いてもらうことができて。その曲を聴いてくださった方たちが私にメッセージをくれるわけですよ。励まされましたとか、前に進めましたとか。

そういう言葉を元に僕が新しい曲を作るっていう、円を描いていくわけですよ。その美しい「円」のことをどうしても伝えたくて作ったのがContrailで。

安室さんの何がすごいかっていうと、そういう「円」をこの世界にたくさん作ってきたということ。私みたいなクリエイターが、プロフィールに(安室奈美恵の楽曲を作ったということを)書いて、その可能性が広がる、そうやって未来を繋いで行けた人がたくさんいて。それが安室さんが世界に与えた素晴らしい影響ですね。ぜひ安室さんが聴いてくださってたらうれしいですけど…それを伝えたいですね。

 

奥:安室さんが見つけた才能が花開いて、そしてそれを聴いたファンのみなさんが…

 

N:そうです、たぶんそれで私の曲を見つけてくれた人が勇気づけられたとか、円がどんどん繋がっていきますよね。それが全部安室さんから始まってるというか、それが素晴らしいことだなって。なかなかないですよ、こういうことは。

 

早:安室さんとのお仕事って、ナオさんのおじいさんからの夢だったんですよね?

  

N:高校を出てから、音楽への情熱だけはあったけどどうしていいかわからずにフラフラしていて、ハマナスの花の色(ピンク色)に髪染めて、KORGの01/W-ProXっていう15Kgくらいあるキーボード担いでライブハウス回るっていう。(参考> コルグ・01/Wシリーズ - Wikipedia

グラフィックデザイナーをしていた祖父がいまして、前回の東京パラリンピックのポスター(※)なんかもデザインしていて尊敬してたんですけど、僕を心配していたんですよ。大丈夫か?髪の毛あんな色にして重いモン担いで…みたいな(笑)。祖父が亡くなった後に安室さんと仕事が出来るようになって。そのときのCD(Queen of Hip-Pop)が出るときに、母が言ってたのが、「おじいちゃんが生前、テレビを見てたときにポツリと『いつかあの子もこういう人と仕事できるようになるといいね』と言ったのが安室さんだった」ということだったんです。

安室さんと仕事できるのが、祖父にとっての夢だったけど、それを叶える前に亡くなってしまい、伝えることができなかったのがショックだったというか。

 

((※)パラリンピックポスターってこれでしょうか?)

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早:安室さんがいろんな人の夢を叶えるっていうか…安室さん自身が国民的歌手っていう大きなメディアみたいなもので。新しい才能や音楽を多くの人に届けられる、その楽しさとか喜びみたいなものは、ひょっとしたら安室さん自身も感じていたのかな?って推測しています。

 

早:実際この番組も、奥村さんの愛が作り上げたものなので。ツイートにも奥村さんありがとうございます!というのがたくさんありますが、実際奥村さんがたくさん頑張ってくれたから、貴重なお話が聞けているんです。

 

奥:(涙声)そんなことないです、本当に暖かいファンのみなさんと作品を作ってくださったみなさんがご協力してくださったおかげです。

時間の関係で、ご紹介できなかったたくさんのラブレターは、番組から安室さんにお届けします。安室さんの輝かしい未来を、お祈りしています。

 

奥:さあ、お別れの時間です。最後は、リオデジャネイロオリンピックNHKテーマソングHeroをお送りします。(お便り読み上げ)

(涙声)では、去年のNHK紅白歌合戦で、安室さんが、最後に歌ってくださった曲をお送りします。その歌声とともに、お別れです。

 

内村:日本全国のみなさんに、25年分の感謝を届けます。安室奈美恵さんで、"Hero"!

 ♪Hero(2017年紅白ver.)

 

------------------ラジオここまで---------------------

 

 

ナオさんの話、早川さんの話、奥村さんの愛、すべてが神回で、文字起こししながら泣いてしまう。

 

ナオさんや早川さんの言っていた、安室ちゃんというメディアを通していろんな人の未来が繋がっていくという話は、私も身をもっていつも感じている。私がわりと早め(2010年)に三浦大知を見つけたのもNao'ymtつながりだったし、最近ミチクラのLDH楽曲めちゃくちゃ聴いているし。そんな円(縁)をたくさんつなげていく安室ちゃんはまさに円環の理…。

 

これは宇多田ヒカルのような天才音楽家タイプには逆にできない役割で、ミチクラ夫妻の言っていたように「これと決めた人には潔く任せる」という安室ちゃんの姿勢あってのものかもしれない。(参考> 安室奈美恵引退の日ラジオ特番「未来へ」メモ4【T.kura&michico その1】

 

よくよく考えると、「楽曲制作陣が固まっていない」というのは安室ちゃんクラス以上の歌手ではほぼいないような気がする。ミスチル、B'z、サザン、ユーミン、みゆきetc.  バンドやシンガーソングライターだと、必然的に身内で制作することになるからかな。

そう考えると、ダンスミュージックで大成したアイドル安室奈美恵は、J-POPにとってどれだけ革命的な存在だったのだろう。

 

 

それにしても、県民賞をもらったときの「初めて褒められた」という安室さんのコメント、ファンとしては結構気になる。私たちファンもキャーキャー歓声を浴びせてきたのに、ここで「初めて」…?

 

でもそれは、本人が「やり切った、悔いはない」と言い切れるタイミングだったからこそ、賞賛を労いとしてスッと受け取れたのかもしれない。安室さんのようなストイックな人は、走ってる最中に褒められても労いというより激励として受け取りそうだ。

あと、アーティストとしての功績というより、沖縄のイメージを押し上げたりといった社会的な影響を改めて評価され、自覚したからなのか。 いや、私にわかるはずがないのですが、、、。

 

安室ちゃんは、

「私は歌いたい曲歌うしやりたいことやるし、それでも興味があるんなら楽しんでくれてもいいよ」

というあくまで自分ありきのスタイルだと思っていたが、最近は

「(自分のためではなく)ファンに喜んでもらうためにやっている」「誰かの力になれてたら嬉しい」

という光の女神(-てんし-)モードに変化した気がする。

それは2012年にいちど引退を意識したからなのか、それとも年齢的なもの(?)なのか…というのがすごく興味深い。

 

 

 

※TKのパートをまだ文字起こししていないので、追々アップしていきます。