わりとこうアムログ

宇多田ファンだけど結局安室ちゃんについて考えたり調べたりしたことを記録する羽目になった    「宇多田ファンによるアムログ」と同じ

自分流SNSブログ文章作成ルール

 私は「文章を書く」ということに対し、そこそこの愛着を持っているタイプの人間だ。

自分のライティング能力が高いとは思わないが、こうやってブログを続けられている時点で、「好き」ではあるのだと思う。

 

そんなタイプなので、「文章をうまく書くコツ」などのネット記事や書籍はついアクセスしてしまう。それらを読んでみてなるほどなあと思うこともあるのだが、そういえば自分の中にも醸成された「コツ」(「クセ」?)は存在するなあと思い至った。

 

Twitter投稿するとき、ブログを書くとき、仕事のメールを送るとき、、、文章を書く際に、自分に課しているルール/クセ/コツ、せっかくなのでまとめてみた。

 

 

■カタめ・柔めのメリハリを作る。

例えば同じ"return"の意でも、「返却した」と「返した」とでは、前者のほうがカタく形式ばって聞こえる。要は漢語と和語の違いってだけなのだが、一文の中に漢語だけ/和語だけが続き過ぎないように心がけている。

 

例:

①去年のあの日、私は安室ちゃんのDVDを購入し、急いで帰宅した。

去年のあの日、私は安室ちゃんのDVDを買って、急いで帰宅した。

去年のあの日、私は安室ちゃんのDVDを購入し、急いで帰った。

去年のあの日、私は安室ちゃんのDVDを買って、急いで帰った。

 

の4文であれば、私は②③が読みやすいと感じる。

 

①はカタすぎ、④はなんか力が抜けてしまう文章だと思う。上記例は安室ちゃんなのでアレだが、仕事のメールでも②③のパターンを選ぶ。(場合によっては①。)

1文だけで見ると、好みなのは②である。だが、の「帰宅した」の後の文に、もし「鑑賞した」「号泣した」などが続いた場合、「○○した」「○○した」「○○した」と同じような語尾が連続してしまい、あまり美しくないと感じる。

そのへんのバランスを取るために、動詞(述語)には和語を使うことが多い。「帰った」「観た」「泣いた」なら、続いても違和感がない。

述語に和語を使うとなると、カタめ要素も取り入れたくなるため、主語には漢語を使うことが必然的に多くなる。

 

 

■意味の区切りが、視覚的にわかるようにする。

「の」はなるべく使わない

実質一義のものはなるべく一単語にする。

例:

DVDの鑑賞は、明日友達とする予定だ。【NG】

DVD鑑賞は、明日友達とする予定だ。

 

 

単語ごとに、ひらがな/漢字/カタカナを交互に使う 

単語の区切りを、視覚的にわかりやすくすることが大事。

例:

DVD鑑賞は、明日友達とする予定だ。【NG】

DVD鑑賞は、友達と明日する予定だ。

(「明日友達」のように漢字どうしが繋がっているとぱっと見で1語に見えてしまうので、「明日」「友達」を分けて配置した)

 

 

 

これらが文章のリズム感ってやつに繋がるのではないかと考えているのだが、いかがか。

   

ちなみに、

「これらが文章のリズム感ってやつに繋がるのではないかと考えているのだが、いかがか。」

という一文をこの形にするまで、何段階かを経ている。

 

①この辺が文章のリズム感につながるのではないかと考えているのだがいかがか。

   ↓

これらが文章のリズム感ってやつにつながるのではないかと考えているのだがいかがか。

  • ①では少しカタ過ぎるので、柔らかさを取り入れた。
  • 「この辺」は実質1単語(名詞)だが、その中にひらがな+漢字が混ざっていると遠目には2単語に見えて混乱しそう。シンプルな「これ」に変更。
  • あからさまな話し言葉ってやつを取り入れて、「いかがか」のカタさを中和。照れ隠しともいう。あと、撥音「」を入れると文章のテンポが良くなる気がする&視覚的にもアクセントになるので、私は結構使う。

   ↓

これらが文章のリズム感ってやつ繋がるのではないかと考えているのだがいかがか。

  • ②の「ってやつにつながるのではないかと」部分はひらがなが続き過ぎ!のっぺりしていて、単語の区切りがぱっと見で分かりにくいので「繋がる」という漢字表記に直した。漢字=表意文字=アイコンもしくはロゴもしくは絵文字 だと思っているので、適度な密度で置くことを良しとしている。

 

 

 

 その他いくつか

 ●困ったら体言止め

文章が締まる!

文末が「~だと思う」「~に感じた」ばかりになってしまうという、長文作成時あるあるに対して有効。

 

そしてこれ、ひょっとしたらだいたひかるの影響かもしれない…

 

youtu.be

 

「~~という、追い討ち」のような体言止めは、オチっぽい機能を果たしてくれる。

 

 

●意味をダブらせない

意味のダブった文の代表は、「頭痛が痛い」。

私はそのタブーをもう少し厳格にして、

「手で握った」

 →握るんだから手に決まってる。「握った」だけでOK

「DVDを観た」

 →DVDはほぼ100%観るものなので、「DVDを楽しんだ」でもいいよね(上記で使ってしまったが)

「明日の天気予報は晴れです」

 →「明日は晴れです」まで削れる。

  (そもそも「明日の天気予報」という言葉がイマイチなので、「天気予報では、明日は晴れです」が日本語的に正しい気がする。)

という処理を心がけている。

 

 

  

ちなみに

自分の文章に影響を与えたものとして、真っ先に思いつくのは「ダレン・シャン」。  児童書だからそもそも易しい文ではあるのだが、それを差し引いてもリズム感があり読みやすい名訳だと思う。小学生のときにハリポタを差し置いて最も読みふけっていた文章。