安室ちゃん好きなんです!というと「黄金期が2回あるからすごいよね」と返されることがたまにあるので、第二の黄金期(ベスフィクの爆発的ヒット)に至るまでの過程を他の歌姫と並べてまとめてみた。
私はタイトル通り宇多田ヒカルについてもファンですが、「時代」との関係性においてはファッションアイコンとしての側面も強い安室ちゃんの方が掘り下げやすいと思い、安室ちゃんメインでまとめました。浜崎さんも掘り下げたら絶対面白いと思うんだけど、彼女のことはあまりよく知らないのでさらっとw
※宇多田浜崎両名については年間ランキング10位以内のものだけ抜粋。
■1998年:産休
この時期を狙ったかのように宇多田ヒカル・浜崎あゆみの登場。載ってないけど椎名林檎やaikoも1998年のデビューですね。実際各レコード会社は狙ってたんでしょうね・・・産休があまりのも突然過ぎて少し間が空いてるけど(笑)
ちなみにこの時代の年間シングルトップ10を見ると
あゆ:1999年~2003年くらいまで
宇多田:1999年~2003年くらいまで
複数枚ランクインさせてます。もろかぶり。この2人のファンって仲悪いイメージがありますが(笑)、それってうまく棲み分けていたことの裏返しなのかも。
■2000年
NEVER ENDもけっこう売れたけど宇多田浜崎には及ばず。優等生っぽさが時代に合わなかったのか?「break the rules」は初めてオリコン1位を逃してしまってる
■2002年:B系安室始動
崩れゆく小室帝国に見切りをつけたのか何なのか、LOVE ENHANCEDを最後に完全に好きなことをやり始める安室さん、SUITE CHIC始動
VERBAL(m-flo)と今井了介が「日本のジャネット・ジャクソンって誰だろう?」という会話をしたこと。「安室奈美恵」という答えに行き着いた二人は、勝手にデモ曲を制作し安室に提案。それを安室が気に入り、逆に参加アーティストをリクエストしてプロジェクトは本格的に始動。
VERBALさんと今井さん、安室奈美恵のキャリアにおいて小室さん並の功労者だと思うので我々はもっと感謝すべき・・・
このとき宇多田さん浜崎さんは相変わらずブイブイ言わせてます。あとBoAがブレークし始めてますね。
■2002年~2004年:michico氏プロデュース開始 / 低売上でも既存ファンがっちり掴む
味(?)をしめたのか、HIP-HOPに突き進む安室ちゃん。その過程でmichicoさんプロデュースの楽曲(Put'emUp)も発表。以後ミチクラ夫妻に関わることが多くなります。
michicoと積み重ねてきたコラボの数々が安室の表現者としての成長を促してきたのは疑いない。転機となった“WANT ME, WANT ME”から最近の『60s 70s 80s』収録曲に至るまで、michicoの書くフロウは聴けばすぐにそれとわかるほど個性的なもので、それはそのまま安室のエッジーなイメージに繋がってきたのだ。いっしょに仕事をしてみて、「〈安室奈美恵〉というアーティストを自身でクリエイトしている、強くて気骨のあるクレヴァーな女性だということを知った」とmichicoは語る。
「基本的に彼女はトラックのみの段階で曲を選ぶので、私はその曲自体が訴えているテイストを引き出す形でライティングするんですが、つまりトラックを選んだ時点で、彼女の意図もおのずと反映されるものなんです」。
(引用)
2008年07月31日
売り上げは一番低い時期ですね。もう売り上げなんてどうでもいいからやりたいことやる!と思っていたのか、それとももう一度昇り詰めてやると思っていたのか。その時期の発言きいてると後者な気がしますが。
ここではおそらくSO CRAZYtour2004がかなり大きな役割を果たしたんじゃないかと思います。現在のライブスタイルを確立したのがこのツアーですよね、たぶん。(これより前のツアー映像見たことないマン)超人パフォを見せられて、2004年の安室ファンはかなりの割合で残っていそう。
そしてこのライブスタイルが数年後の再評価に繋がるのであった・・・
以下後日に続く