わりとこうアムログ

宇多田ファンだけど結局安室ちゃんについて考えたり調べたりしたことを記録する羽目になった    「宇多田ファンによるアムログ」と同じ

何を言いたいのかわからない修士2年間の所感

先日、修士論文の発表と提出を終えて絶賛ヒマです。研究室に来てはいるもののやることない・・・ということでえこの2年間(3年間)の研究室生活についての感想など。

 

 

高校時代の成績は生・英・国・社>化>数の順だった。本番で実力以上の結果を出せて、「地底」(※ググってね)と呼ばれる大学にセンター試験だけで入ることが出来た。そんなんなので学部時代の成績はあまり芳しくなかったです(一応テスト直前はそれなりに勉強していたつもり・・・)。生態学的な分野はともかく化学・物理寄りになればなるほどその傾向が顕著で、やっぱり私の脳ミソは「理系」ではないのだと実感。3年生の時点で研究は向いてないだろうと思っていましたが、以下のクソみたいな思惑により大学院に進学することにしました。

 

・理系の場合8割方は院まで進学する→長いものに巻かれろ精神、もしくは働きたくない・働きたいものが見つからない精神

・もしくは理系の素質が薄い人間だからこそ、無理やり理系的な環境に身を置くことで肩書き・能力共に理系的な要素を得られて得かもしれない。

 

要するに「サイエンスって面白い」「このテーマを突き詰めてみたい」とか研究そのものの明確なビジョンを持って進学したわけではありませんでした。

 

■研究生活

案の定自分の研究テーマを理解するのにも時間がかかったし、研究室のおっさんたちの会話にもついていけなかった(これはおっさんたちが変人というのもあると思うけど)。実験自体は嫌いじゃないし、自分の期待に沿う実験結果を出せた喜びやそれを論文にしてストーリーが作れる楽しさはあったけど人生を捧げるほどではないし、何よりバイオ系アカデミックの身持ちの不安定さを目の当りにしたらとてもこの世界で生きてはいけないと思った。

 

■就活

・教育に興味があったのでそっち系の出版社・そういう学部だからという理由で食品メーカー・気まぐれでいろんな業界つまみ食いしつつ30社程度エントリー。企業選びの軸もクソもなく、「ブラックっぽいのは嫌だ」の一心のみ。いろいろ苦労しつつも教育系・人材系・IT系の3社から内定をいただきその中では最も大手っぽいIT企業に決めた。もちろん自分の研究とは1ミリも関係ない。でも内定をもらった際の人事の言葉は「理系なのに営業志望(実際私の話し方とかに営業っぽい要素はあったんだろうと思う)なのが面白いと思った」

一方工学部の友人たちは数社のエントリーであっさり内定。

 

就活にはケリを付けて、薄っぺらながらなんとか修論を提出できたので卒業は完了する予定です。

 

このモラトリアム最後の時期にいろいろ振り返ってみて思うのは、2年間の時間と学費(国立とはいえ年間50万以上)をかけてバイオ系の大学院に通った意味って何だったんだろう?

人の論を簡単に信じない心構え、プレゼン技術の向上、変人耐性オッサン耐性、年上の女性からのウケ方、ブラック企業耐性、「国立大の理系修士」という肩書、、

マイナスにはならなかったけど、積み上げることのできたプラスがたったこれだけだったのはもったいなかったように思う。数少ないプラス要素も、「生物専攻」であることには起因してなくて「研究室生活」「理系」であることに意味があったんだよね・・・なんなら学部卒で就職してても身についたんじゃないのか。

「理系の中でも特に生物系であること」で得したのは「数学が苦手でも何とか理系の称号を手に入れられる」ってことくらいか。

 

これは研究室や生物学がクソと言ってるわけでは当然なく、私の心構えの問題でしょう。もっと「生物学」「学問」に真摯に取り組んでいれば例えバイオ関係ない企業に就職したとしても見える景色が違ったんじゃないか・・・と少し後悔しています。

 

自分は生物学に興味があると思って学部に入学したはずなんだけど、どうやら私が好きだったのは高校の「生物」という科目・もしくは新書などで得られる「生物学の知識」だけだったみたいだと思い知りました。学問の世界って高校時代に思い描いていたより1000000倍くらい深かったし、こんな中途半端な奴が修士に来るとコスパの悪い2年間になってしまうのだなあと。

 

とはいえこんな失敗(?)経験も無駄にしないように社会人としてやっていきたいと思う次第です。