■アラジン (6/29鑑賞)
まあなるだろうな~とは思っていたが、まんまとジャスミン(ナオミ・スコット)の女になってしまった。
女は政治に関われない、そんな世間の風潮への憤りを表現した新曲「Speechless」が最高。知性も意欲も人徳もあるのに政治に関わらせてもらえないジャスミンの視点も結構比重高めに描いており、現代的になっていた。ベリーグッド。
「美女と野獣」にも通じるところがあったし、最近のディズニーは現代(未来?)的な強い女性像を描こうとしているもよう。エマ様自身もそうだしね。
まあベルとジャスミンは90年代アニメ版のときから知的で活発な女性として描かれていたので、やりやすかったのもあるんだろう。それを10年代実写版ではより強くした感じ。公開前日に金曜ロードショーでアニメ版を放送していたが、アニメ版ジャスミンもいざとなれば色仕掛けもやるし勇敢な女性だなあと改めてびっくり。
アナ雪、マレフィセントも王子がプリンセスを救う話のアンチテーゼだが、シンデレラや白雪姫を作ってきたディズニー社がやるところが面白いのかも。
泣くだろうな~と思っていたが、案の定A whole new worldで泣いてしまった。音楽を手掛けるアラン・メンケンは美女と野獣やリトルマーメイドの音楽も手掛けているんですね。90年代ディズニーの立役者といっても過言でない方だと、今さら知った。
■新聞記者 (7/15鑑賞)
■天気の子(8/12鑑賞)
これ書いてるのが11月なので、細かい内容は忘れてしまったw
ただ、
セカイ系!!
と思ったことをめちゃくちゃ覚えている。なるほどこれは確かに賛否両論あるかも。
帆高がやったことについて、もし自分が陽菜の立場だったら 逆に困るわ!と感じるだろう。だが、2人がお互い孤独な境遇だったということ、10代だということ、2人が短いながらも濃密な時間を過ごしてきたことを考えると、帆高君がエモーショナルになってしまうのもわかる。実際、神社に向かっていくシーンはなかなかグッと来た。
あと、もし本当にラストのような状態になっても、案外私たちは受け入れて東京で粛々と暮らしてくのかもなあ…と思ったりもした。そういう意味でも帆高クソだなwという気持ちはあまりない。
本田翼が意外と違和感なかったことと、東京の知っている街並みが出てくるとやはりテンション上がるのと、瀧三葉が出てきたのと、、、
「君の名は」より好き。
■ライオン・キング字幕版(8/14鑑賞)
ディズニーでいちばん好きな映画=ライオンキング、初恋の相手=シンバ
といえるほどのライオンキング、というかライオン好きなので、実写化の意義には少し疑問を抱きもしたが結局見てしまった。
まず、初っ端のCircle of Life、完コピすぎ!笑
モブ象、モブ鹿たちの顔の角度から何から何までアニメ版に忠実過ぎて笑ってしまった。なるほど、これは「【ライオンキング】【実写化してみた】」みたいなノリの映画として観ればいいんだな?というスタンスが決まった。
続くスカーとザズーのシーンが、動物たちの初会話シーン。
超リアルなライオンと鳥が人間語を喋るわけだが、あまり違和感はなかった。
だが、ついついアニメ版を懐かしんでしまう。実写版セリフも特に悪くないのだが、アニメ版が好きすぎた。アニメ版はこなれた日本語・大人な言い回しが多くて、特にスカーのいやらしさ・狡猾さなどは見事に表現されていたのだ。以後も、アニメ版を脳内再生しながら鑑賞することとなった。(=実写版セリフがアニメ版セリフにほぼ対応できるほど、内容は同じ)
「王よ、永遠(とわ)に幸あれ」
って言ってほしかったなあ~~~~
ナラの気の強さはビヨンセ様の声によって存分に表現されていた。歌が異常に上手くてもはや浮いているが、シンバとの対比としてはよかったと思う。 Spiritの他の楽曲も原作通りでよかったが、"Be Prepared"も原作通りがっつり歌ってほしかったなあ。
あとシンバの毛がラフィキじいさんの元まで運ばれていくシーン。キリンの糞に混じったり(笑)して、Circle of Life(食物連鎖)をより見事に体現していたのはよかった。笑
ところでこの作品のテーマ、公称「家族の絆」「生命の循環」となっているが個人的には違う気がする。
ティモン・プンバァと散々モラトリアム大学生生活を満喫したあと、自らの使命に目覚めて、過去と向き合い大人になっていくところがこの作品のミソなんじゃないかなあと思っている。
一度は「ハクナマタタ」で過去を忘れて精神的に救われたが、今度はハクナマタタを脇に置いてプライドロックに帰る、というのがシンバが主人公たる所以なのではないか。。
その過程にムファサとの対話もあり、「家族の絆」がシンバの行動のトリガーになってはいるのだが。
■トイストーリー4(9/23鑑賞)
「実存は本質に先立つ」という言葉がある。
人間はまず無目的に存在(実存)し、その後に自分が何を達成するべきか(本質)を見つけていくものだというサルトルの言葉である(私の高校倫理の記憶が正しければ)。
その点、ウッディたちの立ち位置は微妙である。おもちゃは、「持ち主の子供にずっと遊んでもらう」という本質ありきで生まれてきたはずだからだ。
トイストーリー1~3で、ウッディは常にその本質に従った行動を選んできていた。
今回、それがまさかの…!
前作まで(特に号泣必死の3)まででウッディを支えてきた信念をひっくり返してしまったのだ。
賛否両論あるという評判は聞いていたが、そういうことか。
個人的には相棒バズとの別れを選んでしまうことが寂しいと率直に思った。
最近のディズニー(含ピクサー)、今までの自作品へのアンチテーゼを突き付ける潮流があり、いったい何を考えているんだろうと思う。批判的な意味ではなく。
■マレフィセント2(10/23鑑賞)
前作のマレフィセント、「真実の愛=男女の恋愛感情」というディズニーのメインテーマとあえて違うことをやっていてとても好き。アナ雪に引き続いてそれをやった、ということがまた良かった。
長い時間を積み重ねてきた友人や家族ではなく、その場で出会ったばかりの男女間の感情の方が大きなものとして描かれるストーリーって、全然釈然としない。
しかもあの時期は、思い出のマーニーも上映されていた。百合(広義)好きとしてはたいへんいい潮流が来ていると沸いたものだ。
ディズニー・ジブリというビッグネームがこぞって、恋愛感情だけが至高じゃないよ、ということを打ち出していたのは自分の味方が増えたような気分だった。
まあそれは置いといて、今回私は、マレ様~~という感情に終始支配されていた。
娘を嫁に出したくないマレ様→かわいい
オーロラに頼まれたら嫌いな会食でも行ってあげるマレ様→かわいい
ベールをかぶってと頼まれてちょっと傷つくマレ様→不憫かわいい
姑に嫌味(母娘の愛がどうのこうの)を言われてキレるマレ様→尊い
謎の生き物に囲まれて戸惑うマレ様(ロングストレートヘア)→かわいい
謎の生き物(自種族だった)に心が揺れるマレ様→かわいい
オーロラのピンチに絶対駆けつけるマレ様→尊いかっこいい
チート級に強いマレ様→最高
突然の不死鳥→えそんなあっさり復活???まあいいやかっこいい
オーロラ「well, well」→尊い~~~!!!
オーロラが幸せそうならあっさり自分の城に帰るマレ様→かっこいい
フィリップ王子が善人で、マレ様が最終的にはそれを認めてくれてよかった。
あと自種族の子供たちを育てることに関心を持ってみたり、基本的に母性の強い人なんだろうか、マレ様。
正直脚本がものすごく優れてる作品という感じではなかったけれど、悪役マレフィセントが実は…という設定を存分に生かして見事なキャラ萌え映画だった。
それにしても最近のディズニーは多様性への配慮がすごくてすごい。
■ターミネーター:ニューフェイト(11/20頃鑑賞)
という評判を聞きつけ、つい観てしまった。
なお私は幼少時にターミネーター3を見たくらいしか記憶がない。親指立てて溶鉱炉に沈んでいくシュワちゃんですら見たことのないモグリである。
とりあえずバズーカ背負った激強BBAサラ、騎士系イケメン女子グレース、それに守られる普通の女子ダニーでビジュアル的に大々満足。しかもRev-9の顔がわりと好き。
「救世主ジョン・コナーの母である」という理由でかつて命を狙われていたサラに対し、
「自分自身が救世主である」という理由で狙われるダニー。
ゴリゴリの漢気で活躍していたシュワちゃんも今回脇役だし、強い女が世界を引っ張る!というムードが最近の流行?(私は好き)
ターミネーターシリーズに脚本の繊細さとかはあまり求めてないので、とにかくド派手なアクションをかましまくってくれた今回の映画も面白かった。T2見ますね
■アナと雪の女王2(11/22以降5回観賞)
なおこれを鑑賞後、
・アナ雪アートブック
・「影のひそむ森」(今回の劇場版の前日譚)
・アナ雪1の小説版
を購入するなどドハマリしてしまった。
劇場版の展開にあまりにも無駄がなさすぎて、こちら側の咀嚼が追いつけない部分があったんだけれど、小説によってアナやエルサの心情が理解できてとてもよかった。
やっぱり映画=現象を語るもの、小説=心情を語るもの という役割の違いはあると思う。
メディアミックス作品ってピンキリあるけど、アナ雪シリーズに関してはうまくいってるんではなかろうか。
アレンデール姉妹はまじで沼だった。
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今年はたくさん映画見たな。
ディズニー映画をよく見たが、トイストーリー4、マレフィセント2、アナ雪2を通じて感じたことがある。
ディズニー的には「自己実現/自由」「仲間/家族」のうち、前者への比重が高まってきているのではないか。
上記3作品はすべて続編。前作までで固い絆を築き上げたキャラクター達を物理的に別離させたという共通点がある。
「わんわん物語」(90年代)が、この潮流の対極にあるではないかとひそかに思っている。
あれは自由を愛する野良犬トランプがレディとの恋や家族の暖かさを選び、飼い犬になるというストーリーだった。明らかに「仲間/家族」を上に位置付けた展開だと思う。個人的にはややモヤる。
もちろん「自」「他」は必ずしも対立項ではなく、今年の作品の中にも
「自分のやりたいことを選んだ結果別離してしまっても、絆は消えない」
(むしろ絆があるからこそ自分を大切にできる)
というメッセージがある。
ディズニーや映画界は何を考えてこういった展開の映画を作っているのだろう?やっぱりここ数年が社会の潮流の変わり目なんだろうか?とかいろいろ考えてしまう。
そんなメタ的な視点を持ってみても新しい発見がありそうだし、最近「映画って面白いな」としみじみ感じる次第。2020年もたくさん観たい。