わりとこうアムログ

宇多田ファンだけど結局安室ちゃんについて考えたり調べたりしたことを記録する羽目になった    「宇多田ファンによるアムログ」と同じ

Fantome感想メモ

桜流しと真夏の通り雨については感想を言語化する術を持たないので割愛。

 

・道

「悲しい歌もいつか懐かしい歌になる」というくだりはFirstLoveの「新しい歌歌えるまで」を彷彿としてしまう。「you are my everysong」とも言っているように「歌」っていうものは宇多田さんにとって表現手段以上の何かのように思えるなあ。思い出・人生の一区切りのような意味合いなのかも。

一人でいても「こんなとき あなたならどうする?」って考えてしまうの、究極の依存orリスペクトだと思う。

 

イントロのアレンジ、ダンスミュージックっぽい。安室ちゃんか大知くんとコラボしてくれないかな~

 

 

・俺の彼女

「俺の彼女はそこそこ美人 愛想もいい」という日常口調をそのまま詞にぶち込む宇多田節全開。一人二役のボーカルをこなしコミカルな曲かと思ったら後半のドラマチックさ・・・!ストリングスがめちゃくちゃいい・・・

男女って永遠にわかり合えないんですよね。You Make Me Want To Be A Manに通じるものがあるかしら?でもこの曲の方が女が男側をなじっている(?)感があるかも。

エヴァの加持さんが「『彼女』という言葉は彼方の女と書く。男にはとうていわからない生き物なのさ」(うろ覚え)とシンジくんに諭すシーンを思い出してしまうw

それでもカラダよりもっと深くわかりあいたい、と願っているのが切ないけど希望のある2人というか。・・・ますますエヴァっぽいなぁ(笑)

 

・花束を君に

世間では(というかたぶん実際に)お母様との別れの曲、ですが個人的には花嫁を送り出す親・友人の曲(笑)。

今年は本当に結婚式が多かった・・・結婚ってもちろんおめでたいんだけど、送り出す側からしたらある意味別れでもあるので、超個人的にはMaking Loveの延長線にある曲。

 

「言いたいこと 山ほどあるけど 神様しか知らないまま」

「今は伝わらなくても 真実には変わりないさ」

言いたいことは伝えきれないまま別れを迎えてしまったけど、伝わらなくてもいいや、涙色の花束にただ託そうという。聴くたびに泣いております

 

 

・二時間だけのバカンス

PVチラ見した私「いやいやこれを百合と決めつけるのは早計・・・」

フルで見た私「どう見れば百合じゃなくなるのか知りたい」

 

ヒカルさんと林檎さん、人妻不倫百合が似合いすぎてどうしたらいいのかわからないし、J-POP界を背負ってる女性ソロ2人が満を持してタッグ組んでるのも熱いし。

インタビューなど読むに宇多田ヒカルのカムバックを最も待ち望んでいたのは椎名林檎なんだろうな、と思わせられるのでまた格別のコラボですね。

 

「足りないくらいでいいんです 楽しみは少しずつ」

というフレーズが逆にエロさを醸し出していていいね。宇多田らしさもあって好き。

 

 

 ・人魚

聴くたびに え・・・・死ぬの・・・・・?と思ってしまう。此岸と彼岸の境目というか「水面」も三途の川にしか思えなくなってきた・・・

 

「黄昏が胸の奥滲んで染みる」けど

「東の空から聴こえる」何かに呼ばれているから、

まだ(海へは)「帰れぬ」(還れぬ?)

   ↓

西=海側=死んだ人のいる場所

人魚=海へ誘う幽霊的な存在

東=陸?=この世

 みたいな図を思い浮かべながら聴いてる。亡くなった人を求めてしまう気持ちを一番強く感じる。Fantomeというタイトルをいちばん地で行く曲だと思ってます。

 

 

・ともだち

本人公認、同性愛者の人がストレート相手に片想いしてしまったという曲。

軽妙な曲調とか「いやそれは無理」の自嘲気味な感じとかで諦めはすごくわかるんだけど、

「キスしたい ハグとかいらないから」「今すぐに触りたくて仕方ない」あたりの生々しさ、「持っていけばいい 墓場に」でぐっと重くなるアンバランスさよ。

 

ちなみにご本人は両刀なんだろうなと勝手に思ってます(笑)

 

 

・荒野の狼

ちょっと世の中を斜に構えてみてる感じ。なんとなーくInMyRoomを思い出す。

世間を傍目に二匹の狼は月夜舞台・・・

ヘルマンヘッセ読んだ方がいいかな。

 

 

・忘却

「いつか死ぬ時 手ぶらがbest」に尽きますね。

カヲル君じゃないけど生と死が等価値というか・・・

 

なんだか和の雰囲気を感じるのは、宇多田パート

「熱い唇  冷たい手」「言葉なんか 忘れさせて」

と7文字・5文字のパターンでずっと歌ってるからかしら。

 

 

・人生最高の日

忘却と桜流しの間にこんな軽快な曲が・・・・(笑)

「もうとまんないもうとまんない」などの繰り返し、韻の踏み方が心地いい。

しかしこのアルバムの中にあると素直にこの曲の明るさに身を任せられないというかwこの楽しさも一時の夢・・・?みたいな気持ちに・・・(笑)

 

宇多田ヒカルと諸行無常

宇多田カフェに一緒に行った友人が、曲聴きながらずっと

諸行無常・・・・諸行無常・・・

とブツブツ呟いていたんですが、私も宇多田作品に仏教ネスは常々感じていたので少しじっくり想いを馳せてみた。

 

ちなみにwikipedia先生によると諸行無常とは

仏教用語で、この世現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。

だそうです。

 

 

このへんを踏まえて特に諸行無常度高めな曲を挙げてみた。

 

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■「風の前の塵に同じ」 Travelling 

平家物語の引用な時点で言わずもがなですね。「仕事にも精が出る 金曜の午後」と花金イエーイ!な曲なのに、あんな鮮やかなMVなのに、諸行無常の代名詞を前面に出してくるのがすごい。楽しい時間にも終わりがある・・・(終わりがあるから楽しいとも言える)

 

■「少しケガをしたって まぁいいんじゃない」 Kiss&Cry 

どうせ時間経ったら治るしさ。(結局最後には死ぬんだしさ。)という比較的ポジティブな諸行無常。普段何気なく使うけど、「まぁ」って言葉、ちょっと諦めが入ってませんか?

 

■「さようならの後も解けぬ魔法 淡くほろ苦い」 Flavor of Life 

「淡い」もですが「ほろ苦い」って形容詞、形あるものが崩れて融けていく様子を思い浮かべてしまうので。チョコレートみたいな。それが「解けぬ魔法」というフレーズの直後に来るのがね。

それにタイトルが「Love」などでなく「Life」ってのも諦観、俯瞰を感じる。

 

■「大きな看板の下で 時代の移ろいを見ていたいな」 

■「ずっと前に好きだった人 冬に子供が産まれるそうだ」 Passion

大きな看板って何でしょうね。商業主義の象徴?それとも宇多田ヒカルという超有名歌手のこと?そういった世俗と完全に離れることはできないけど、付かず離れずで移り変わりを見ていきたい・・・・とか?いや~兼好法師っぽい(?)

「ずっと前に~」も時間の不可逆性を感じる1節。

 

■2006年のツアーUTADA UNITEDのモノローグ

空気の音
水の音
砂の音
私の上を流れていく粒子の音
私の中に流れている血の音
小さなものがどんどん繋がっていく
大きくなる
大きなものがさらさら崩れていく
小さくなる
消える
現れる
消える

まさに万物流転というか・・・

人間=粒子が集まった構造・集合体である、という考え方が宇多田作品の根底にあるような気がします。生物の細胞をモチーフにしてるPVも多いし(主に紀里谷作品)。砂漠好きだし。

生物個体としての構造は保ちつつも、実はひとつひとつの細胞は常に入れ替わっている・・・みたいな生命観(というか事実)がね。

 

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とまあ比較的最近(?)の作品で諸行無常を感じることが多いんですが、なんだかんだ

Time will tell 時間がたてばわかる

デビュー時(15才)で歌ってるのがいちばんヤバいなと思うのでした。

 

 

 

 

宇多田新作を迎える複雑なファン心理と小学校国語

祝・宇多田ヒカルFantome発売まで残り3週間!

 

それにあたってちょっと不安なことがあります。

 

宇多田ヒカルの楽曲を受け止めなきゃと強く思い過ぎて、逆にちゃんと受け止められないんじゃないかということ。
 
ちょっと初めて感じるタイプのファン心理なんですけど。
 
「私は宇多田ヒカルの楽曲を好きにならなきゃいけない」「彼女の歌詞に心を揺さぶられる感性こそ正しい」という正解ありきで考えてるんでしょうね。変な気持ちで新作を迎えてしまうような気がする。
 
 
私は思春期真っ盛りに宇多田ヒカルを好きになり、彼女の言葉や音楽にわりと人格を作られてきたと思ってます。いやほんとに・・・
 
そこそこ私の人格が完成した(?)18歳の夏、宇多田ヒカルが公の活動休止を発表し、そこから私は人生の師を失いつつ、(おかげさまで安室奈美恵にどっぷりハマりつつ、)大学+院6年間を過ごしました。
 
そして本当に待ちわびた宇多田ヒカル復帰・・・
母になった宇多田さんのこれからの楽曲がものすんごく楽しみな一方で、
 
Fantomeの宇多田=私を育ててきた宇多田ヒカルか?
 
って考えたら多分NOなんですよね。
 
過去作の少女性(?)、チクチクした孤独は失われてしまっっているだろうな・・・とちょっとさみしさすら感じる。
 
 
 
・・・・・・・この、大好きな人が戻ってきたのにチグハグな気持ち・・・・・
どこかで見たような・・・・?????
 
 
と思ったら、思い出した、私これ小学校で習ってる。
小学校5年生の国語でやった「新しい友達」だ!
 
あらすじ---------------------------------------
小学生のひろちゃん。2年の空白を経て再会した親友・まりちゃん。
イギリスに転校していたまりちゃん。ひろちゃんの知ってる姿から微妙に変化してて、でも大好きだった彼女と本質的には変わってないはずなのに距離を感じてしまうの・・・と悩んでるひろちゃん。ヤバ~~~イ!超わかる~~~~!!(女子会)
と、そこにクラスメイトの坂本君がアドバイス。
 
坂本君「(まりちゃんのことを)新しい友達だと思えばいいんだよ!
私「な、なるほど・・・・・????」(半信半疑)
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過去の相手への思い入れが強ければ強いほど、変化後の姿には違和感を抱いてしまう。相手(過去)と、相手(今)はいっそ別人なのだと思った方が案外なじむのかもしれないですね。
 
小学生のときは何もわからず、この話を面白いとも思ってなかったんだけど(すみません)、今では思うところありまくり。
 
宇多田ヒカルの楽曲が変化していようとしていまいと、あまり過去の姿にとらわれず、かつ「好きにならなきゃ」なんて構えずに聴ければなぁと思います。
 
私も大人になったな

「ホール」ツアーについて少しだけ考えてみた

LIVE STYLE16-17は、2010年以来のホールツアーとなります。タイアップがバンバンつき、売り上げも好調なこのタイミングでなぜホールツアーなのか?????おかげで全然チケット取れません。

まぁでもせっかくなので、ホールならではと思う点を挙げてみた。

参考文献:Past<Future 2010

 

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・近い

(当たり前)。どの席でも近いんですが、花道もないのでアムロウォークで近づいてきたときのギャ~来た~~的盛り上がりがないのは惜しい。

個人的に、「すっごいたくさんの人にキャーキャー言われながらすっごいたくさんの人の向こう側に見える雲の上のスター安室奈美恵」の絵がけっこう好きなのでアリーナの方が好き(笑)

 

・フォーメーションより個の力で勝負

ダンサーの人数少なめ(4人+4人)にも関わらず、全員で踊る時ちょっと窮屈そう(笑) ステージを広々使ってフォーメーションで魅せる演出(例:2011NAKED、2015B who I want 2 Bは少なめ。その分、個人のダンスをじっくり追っていく演出(例:LOVE GAMEはホールの方が映えてるかも。

 

・照明がおとなしい

スポットライト(っていうの?)中心で標準的な照明演出。そういや「光の演出に力を入れたい」って言ってたの2011年からでしたね。

 

・お肌がきれい

これも照明が原因? 光が柔らかくて、奈美恵さんたちのお肌がとっても綺麗。パスチャツアー、安室ちゃんのぷにぷにしっとり感すごくないですか?恋してたからですか?

 

・階段が動かない

近年のツアーでは当たり前のように階段動いてますけど、2010年は演奏陣がいることもありおとなしめ。階段に限らず、総じて動的な仕掛けは少ないですね。

登場の仕方が限られそうですが・・・LS16はどうなんでしょう。

 

・生バンドでアレンジが多彩

MITSURUさんのドラムが好きです(泣)DoMeMoreのドラムめちゃくちゃアガるのになぁ。ベースもかっこいいし。

アリーナ(≒体育館)とは違い、そもそもホールって音を聴くための施設なんですし・・・・ねぇ・・・やっぱり生音・・・・やりません・・・??(※最近参戦したw-inds.いきものがかりの生音がとっても良かったので)

 

・セトリがマニアック

・・・・だったらいいんですけどね・・・・・まぁないんだろうな(笑)

 

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私の初LIVESTYLE16は11月東京公演になりそうですが、それまでに上記の点を元に妄想しておきたいと思います。もう参戦された方は「たしかにこんな感じだった」「全然違うぜ」とニヤニヤしていただければ幸い。

 

このタイミングでなぜホールツアーなのか?」という疑問は・・・ライブ見たら解決するんですかね。しなさそうだな。(笑)

 

 

(上記のようにホールの特徴を並べてみると、

いかにアリーナツアーが照明やフォーメーションで魅せることに力を入れていたか

を相対的に感じてしまったり。

個人的に、生バンドをなくしたLIVE STYLE2011から光と集団ダンスで魅せる傾向が強くなったように思っています。バンドレスにしたのは震災の影響だったように記憶していますが、案外それがきっかけでLIVEのSTYLE変えたんじゃない?何気に大きなターニングポイントだったんじゃない?

と考えていますが、どうなんでしょう。)

 

オタクをやってて良かった / 自戒したいいくつかのこと

先日、安室ちゃんを通じて知り合った某さんとご飯に行ったとき、安室オタクになって価値感とか生活が結構変わったよな・・・としみじみと感じたので、7年間ほどのオタク生活で感じたことをまとめてみた。

 

ちなみに私の安室オタク度は

・ベスフィクツアーからドハマり。大学時代はまるっと安室ちゃん大好き期

・ライブ参戦 : 3~6回 / 年

・20thの沖縄は現地で涙を呑み、台湾公演にも行った

Twitterで安室ファンの皆さんと多少交流があり、直接会ったことある方も何人かいる

くらいです。まあ一般人から見たら充分オタクだと思います。

 

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オタクをやっててよかった6つのこと

 

■裏方の存在を意識できるようになった

Nao'ymt氏やミチクラ夫妻はじめ、コンポーザーやコレオグラファー、ヘアメイクさんを通じて発掘できた作品も数多し。

 

■エンターテイメントを鑑賞するときの「型」が出来た

安室ちゃんのライブを長年見ていると、本人のパフォ / セトリ / 照明 / 演出 / カメラワーク等、自分の中でのチェック項目が出来る→他の人のステージでもその視点でチェックするようになるため、漠然と見ているよりも得られる感想が多い。

まあこれはステージの質が高い ( 含 ファンの欲目 ) 安室さんのオタクならではかも。

 

■アウトプットの機会が増えた

この作品、この人、このステージ、すごい!と感動したら伝えたいのがオタクの性。そのためにツイッターとか作文とか頑張っちゃう。心で感じたことをそのままテキスト表現するって何気になかなかない機会ですよね。

語彙が増えたり表現力が上がったりしたかも、若干。

 

■友達の種類が増えた

友達の人数ではなく「種類」としたのは、普通に暮らしていたら100%交わらないタイプの人と仲良くなれたから。

特に自分は温室育ちで、似たようなタイプ(同世代・社畜志向・似たようなファッション・同程度の学力etc.)としか付き合ってこなかった自覚があるので余計に。学校の友達からは絶対に出てこない意見をたくさん見れるのは楽しい

 

■(友達にはなれなさそうな)人を知れた

逆に、こんな人間案外身近にいるんだな・・・絶対仲良くなれないな・・・気を付けよう・・・という人の存在を知れたこともプラスかも。

 

■フットワークが軽くなった

遠征を通じてなんとなく国内各地の土地勘が付いたり、夜行バスの予約に手慣れたりしたので就活がスムーズだった(スムーズに内定が取れたとは言ってない)

 

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オタ活を続けるにあたり忘れずにいたいと思うこと

 

■安室ちゃんもいつかは引退する

言わずもがな(笑)

 

■趣味と引き換えに失ってるものがある

安室ちゃんのライブにたくさん行くことは本当に楽しいんですけど、もしそのお金の何割かを貯金していたら・・・と思うこともあります。趣味にこんなお金を使ってなければ、留学・研究・ボランティア等の貴重な経験が得られていたかもしれない。

 

■自分のTLは、世間から見たら異常に偏った世界である

自分の好きな要素だけで構成できるTwitterはとても居心地がいいけど、自分の「好き」がだんだん世間の「普通」だと錯覚してしまいがち。きっと私たちが思うほど安室ちゃんって世間に知られていないんですよね。

それに忘れがちだけど、同じライブに何回も行ったり1年間に何(十)万円も注ぎこんだりって普通じゃないんですよね。○○さんが10回参戦してるから5回くらい普通じゃん!って親や恋人にわかってもらうのはそりゃ無理だ。

 

■趣味はあくまでも趣味である

たまに 趣味>>>>その他 になることはあっても、あくまで学校や仕事、日常あっての非日常って認識は忘れないようにしたい。

 

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LIVESTYLE16~17のチケットがあまりにも取れなさ過ぎて(笑)、アムライブからは距離を取らざるを得なくなったんですけど、そしたらちょっと冷静に見つめ直してしまいました(笑)(社会人になったからっていうのもある。)

趣味はなるべく長く平和に続けたいものです。

 

「1998年の宇多田ヒカル」読んだ  

祝・宇多田ヒカル新アルバム9/28発売決定!!!!!

いや~いろんなライフステージの宇多田ヒカルの音楽聴きたいよね!本当~~~~に楽しみ。絶対発売日まで死なない。

 

 

ところで宇野さんの「1998年の宇多田ヒカル」読んだ  。

印象に残ったのは

 

椎名林檎氏「2020年の東京オリンピックが決まった時、浮かれた気分と同時に『開会式、大丈夫なのか?』という不安が湧きあがってきたでしょう?こんな風になってほしくないなという国民共通の想いってあるでしょう?Jポップというものを作っていい立場にあるその視点から、絶対に回避せねばならない方向性を毎日考えています。」(要約)

 

というセリフ。

このインタビューの根底に「ヒカルちゃんがいてくれたら」という林檎さんの想いを汲み取ってます。

 

また、浜崎あゆみについてもあゆの歌う「Movin’on without you」から原曲に対するリスペクトが伝わってきたのはこういうことだったのか~と納得させられました。

 

宇多田ヒカルって日本の皆のものであり、そのカムバックは「Jポップ」を塗り替えていくもの、だと林檎さんや周囲(私たち)は認識しているんですね。

 

私は宇多田・安室のファンなのでこの2人を対にして考えてしまうんだけど

 

・小室帝国が崩れて安室奈美恵が女王の座を空けたとき、宇多田浜崎がその座をあてがわれて音楽シーンが変わったこと

 

宇多田ヒカルが6年間Jポップシーンからいなくなったとき、JポップをAKBやジャニーズ、EXILEが独占したこと

 

って似てるのかなと感じます。ただし現在は、寡占状態のわりに老若男女が共有できる音楽がない、という特殊な状態ですが。

 

 

安室ちゃんは再び女性ソロトップの地位に帰ってきたけど、「みんなのもの」ではなく「興味のある人は聴いてね、見てね」のスタンス。本人は海外デビューを狙う気はなさそうなんだけど(「私のフィールドは日本」みたいなことを言っていたような)、Jポップのメインストリームを引っ張る立場ではない。ファンの数も多いし年間ランキング上位にも食い込むけど、「安室ちゃん」は「女性の憧れ」であってきっと老若男女が口ずさむ、国民的な楽曲ってものを作る人ではないのだと思う。

 

全方位型かつ誰もが認めるハイクオリティのJポップが不在の今、NHK朝ドラ主題歌というまさに日本のみんなのうたを皮切りに、宇多田ヒカルは帰ってきた。それはまさに宇野さんのいう「日本の(現在の)メインストリームの延命装置を外す」ってことになるのかもしれません。

 

と同時に不安があるのは宇多田ヒカルを知らない、興味ない世代がけっこういること。

社会現象時にものごころついていた人はどう考えても20代以上。活動休止以前に音楽を自分の意志で聴いてた人もおそらく高校生~大学生以上。中学生以下の世代に結婚、離婚、再婚、出産を経た宇多田さんの、影が濃い、でも慈愛に満ちた楽曲は伝わるのかな・・・

 

安室の産休と宇多田の人間活動をなぞらえるなら、売り上げの低迷の可能性だってあるし、そしたら林檎さんが期待するようにJポップを変えることは難しいのかもしれない。

 

・・・とか言ってたらなんと安室ちゃんがNHKのオリンピックテーマソングに決まり(笑)、宇多田朝ドラ(NHK)・安室オリンピック(NHKとか(このブログ的に)ドラマチックすぎる構図になってしまった・・・・・・・

 

安室宇多田を対で考えちゃう悪癖は当分終わりそうにありません

ガラパゴスの理由について調べてみた感想

 

この役割、宇多田さんならやってくれるんじゃなかろうかと考えてるんだけどそれはまた後日。

 

このツイート(フォロワーではない方ですが・・・)をきっかけに、そもそもなんで日本の音楽市場はこんなにガラパゴってるのか?調べてみた。

 

■予想

・ふつうに言語の壁

・宣伝に流されやすい国民性

・地理的に海外歌手がPRで来にくい

・能力が低いことを可愛いと愛でる独特の感性。(←推し説)ちいさきものはみなうつくし。by清少納言

・オーディオ機器メーカーがレーベルを立ち上げる傾向が強い→豊富な資金力でどんどん宣伝

 

■方法

「j-pop ガラパゴス 理由」でググる(突貫工事)

 

■結果matome.naver.jp

ま、ガラパゴスにもいいとこはあると思うんですけど(笑)、ガラパゴスに至る経緯についてはわかりやすかった。

 

ch.nicovideo.jp

オタク化のあたり納得。「萌え」が市民権を得たことで音楽の聴き方にも影響はあったと思う

 

自分の身を振り返ってそれな・・・と思うのは

日本のヤンキーの音楽文化の頂点のひとつに、矢沢永吉の音楽があると思うのだが、その矢沢自身がいうように、
 「コンサートは、音を聴くだけのとこじゃない。何か気持ちをもって歌ってる男に、会いに行くものなんだ」
 といった具合で、音楽以上に、音楽性とは異なる価値が称揚されている。

なぜ、J POPは世界に通用しないのか | 町田の独り言

 

私生活あんなんでもバカ売れしてるJustinBieber、日本だったらありえないもんな笑

 

考えてみれば日本人って、ビジネスの場にも根性論・精神論を持ってきがち。明らかにスキル貧弱なアイドルたちでも、頑張ってる姿やグループの絆に感銘を受けてしまうっていうのは大いにあるんじゃなかろうか。

漫画アニメ等に関しては、作者の「努力してる姿」が直接見えず、比較的冷静に作品自体を評価できる。一方で、近年最も売れたアニメの一つ、ラブライブ!は声優さんが努力する姿を見せることによって紅白出演までいけたわけだ。(すみませんラブライバーで)


日本人って音そのものの芸術性を単独で愛でるのではなく、他のものと抱き合わせで好きになる傾向が強いのかも。

 

そういえば宇多田さんが全米デビュー(EXODUS)時の対談で、日本語詞の特性について言ってたなあ、、、と引っ張り出してみると

言語によって言葉の作用の仕方が違うんですよね。日本語だと言葉自体が最初に来て、意味もすごく強烈で。英語の方は言葉の音とかバランスとか並びとか全体の印象が「ほわっ」と来て、意味は後から続く。

歌詞の意味先行で音楽を聴くことが、歌手のキャラクターに対する想いを深めてしまうのかもしれない・・・・などとおもいました